M-1グランプリ2025準決勝・全31組を徹底深掘り|ドンデコルテ・豪快キャプテン・めぞん・たくろうは“なぜここまで来たのか”

コメディアン
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夜の東京・NEW PIER HALL。
入口に並ぶ観客の靴音が、いつもよりほんの少しだけ固い。
それは、この日が“準決勝”という名の通過点ではなく、「人生が選び直される夜」であることを、全員がどこかで知っているからだ。

ステージ袖では、31組の芸人が深く息を吸っていた。
その呼吸は、緊張ではなく“覚悟”に近い。
漫才というのは、たった4分の芸だ。
だがその4分に、彼らの何年間、何十年間という時間が重なっている。

「その夜、誰もが自分の“推し”の名を心の中で叫んでいた。」
そんな気配が、ホール全体を薄く包んでいた。

これから語るのは、M-1グランプリ2025準決勝──
全31組の“技術”と“物語”がぶつかった一夜の記録だ。
そしてその中心には、今年もっとも“ドラマが発火した”4組、
ドンデコルテ/豪快キャプテン/めぞん/たくろうの姿がある。

この記事を読むとわかること

  • M-1グランプリ2025準決勝・全31組の全体像
  • ドンデコルテ/豪快キャプテン/めぞん/たくろうが“なぜ決勝に届いたのか”
  • 準決勝4ブロック(A〜D)の笑いの傾向
  • お笑いファンが押さえるべき2025年M-1の「潮目」

 

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M-1グランプリ2025準決勝とは何か

M-1グランプリは、毎年12月に向かって“何万人の夢”が削られていく大会だ。
1回戦、2回戦、3回戦、準々決勝──と段階を踏み、
そのすべてを越えてようやく辿りつくのが準決勝のステージである。

2025年の準決勝は、全31組
うち1組は、TVer視聴者投票で勝ち上がったワイルドカード枠(滝音)だ。
つまり今年の準決勝は、実力と勢いと人気が混ざり合った“特別な密度”を持っていた。

準決勝の舞台に立つ芸人は、もはや“面白いだけ”では勝てない。
ここから先は、技術・構造・間・キャラ・温度──それらすべてが噛み合わないと、舞台に立つ意味すら失われる。

「笑いは4分。人生は何十年。」
この言葉の重みを、僕は準決勝を見るたびに思い出す。



M-1グランプリ2025準決勝・全31組 A〜Dブロックの空気

M-1の準決勝は、単なる「31組の出番」ではない。
A〜Dの4ブロックに分かれた“空気の違い”こそが、その年のM-1を物語っている。

お笑いナタリーやQJWebのレポートを読み込むと、
今年の準決勝はとくに「温度」と「構造」のバランスが、ブロックごとにくっきりと分かれていたのがわかる。

Aブロック:王道と実験が同居する「助走区間」

Aブロックは、例えるなら「助走をつけるための滑走路」のような時間帯だった。
いわゆる“王道型のしゃべくり漫才”と、ちょっとひねった設定・構造派が同じ箱の中に入り、
会場の笑いの温度を少しずつ上げていく役目を担っていた。

ここで強かったのは、派手さよりも「ネタの土台の強さ」
ツカミの一言目で客席を安心させてから、じっくり世界に連れ込むタイプが、確かな反応を取っていた。

Bブロック:技巧派が揃った「地力勝負ゾーン」

Bブロックは、全体として“芸歴の重さ”を感じさせる空気だった。
ボケの数、ツッコミの解像度、台本の密度──そのすべてが高く、
観客としても「笑っているのに、どこか試されている」ような感覚になる時間帯だ。

ここで差がついたのは、単純な爆発力ではなく、
“4分の中でどう起伏をつけるか”という設計のうまさ
同じくらい面白いコンビが並ぶからこそ、
「ラスト30秒でどれだけ景色を変えられるか」が勝負を分けていた。

Cブロック:キャラと世界観がぶつかる「クセの遊園地」

Cブロックは、劇場全体の空気がガラッと変わる時間帯だった。
キャラ型・世界観型の漫才が連続し、
「この4分間だけ、別の世界に連れ去られる」ような感覚が続く。

観客の笑いも、A・Bブロックの「納得の爆笑」とは少し違う。
「なんだこれ……でもめちゃくちゃ面白い」という、戸惑い混じりの笑い。
このブロックからめぞんのようなコンビが決勝へ抜けていくのは、ある意味で必然だったと言える。

Dブロック:今年の“本線級”が密集した激戦

そしてDブロックは、いわば「決勝の予告編」のような景色だった。
会場の空気も、観客の集中力も、すでに“テレビの生放送レベル”に近い。

ここでは、豪快キャプテンたくろうのような、
「笑いの厚み」を持ったコンビが強さを見せた。
叫び声や大きな動きに頼らずとも、
言葉と間のコントロールだけで客席を一気にさらっていくタイプだ。

準決勝を通して感じたのは、
「2025年は、テンションより“温度差の技術”がものを言う年だった」ということ。
笑いの高さではなく、「どの温度からどの温度へ連れていくか」を設計できたコンビが、結果として残っている。




決勝進出9組ダイジェスト──その中で光った4つの物語

31組の準決勝を経て、決勝へ進んだのは9組
その顔ぶれを眺めると、今年のM-1がどんなバランスで“笑い”を選んだのかが見えてくる。

シンプルに言えば、2025年の決勝メンバーは、
「王道」「技巧」「世界観」「人生ドラマ」がほどよく混ざったラインナップだ。
テレビ的な見やすさと、お笑いファンの“マニア心”の両方を満たす、絶妙な配合になっている。

もちろん、全員を細かく解説するには紙幅が足りない。
ここではまず、9組の全体像をざっくりと眺めたうえで、
この記事の核となる4組──ドンデコルテ/豪快キャプテン/めぞん/たくろうへ、焦点をギュッと絞っていく。

「面白い」だけでは選ばれなかった9組

決勝へ進んだ9組に共通しているのは、単に「ネタがウケている」以上のものを持っていることだ。
それは、たとえばこういう要素だ。

  • 一言目で「あ、このコンビだ」とわかるキャラの明確さ
  • 設定を説明しすぎない、観客との信頼関係
  • ボケとツッコミの“人間関係”が見えるやりとり
  • ラスト30秒で、物語の景色を変える構成力

準決勝まで来ると、「面白さ」はほぼ前提条件になる。
そこから先は、「このコンビに今年の優勝を背負わせたいか」という、
半分は感情・半分は戦略の判断が働く。

「31組の中から、あなたは誰の肩をそっと押したくなるだろう。」
この問いに、審査員と観客がそれぞれ答えた結果が、今年の9組なのだ。

この記事が深掘りするのは、4つの“潮目”だ

そのうえで、この記事があえて焦点を当てるのは、次の4組だ。

  • ドンデコルテ──40歳で初決勝という「時間の物語」を背負うコンビ
  • 豪快キャプテン──名前のイメージと実際の“緻密さ”のギャップが光るコンビ
  • めぞん──クセの強さを“大会のセンター”まで押し上げた世界観型コンビ
  • たくろう──長年の実験と蓄積が、ようやく決勝という形を取ったコンビ

この4組を見ていると、
「M-1は、ただの“お笑いコンテスト”ではなく、時代の潮目を映す装置なんだ」
ということが、じわじわと伝わってくる。

次の章からは、それぞれのコンビのネタ構造と人間の物語に、もう一歩踏み込んでいこう。
ドンデコルテ、豪快キャプテン、めぞん、たくろう──
彼らはなぜ、2025年の準決勝から決勝へと歩み出せたのか。
その答えを探る旅に、一緒に付き合ってほしい。



ドンデコルテ──40歳の初決勝はなぜ起きたのか

ドンデコルテが準決勝のステージに立った瞬間、会場の空気がひとつ深く沈んだ。
それは「重い」ではなく、“聞く姿勢に変わる”という意味の沈みだ。
芸人が最初の一言を発する前に、空気が劇場の主導権を渡す。そんな場面は滅多にない。

彼らのネタは、派手さはない。むしろ静かだ。
だが、その静けさの奥で、生活の温度が微細に揺れている。
たとえば、ボケがふと漏らす“生活者の目線”。
それをツッコミが丁寧に拾い、拭い、並べ直す──この循環が美しい。

「笑いとは、心の奥の温度差をそっと動かす技術である」
この言葉を体現するような漫才だ。

そして、何より大きな物語がある。
渡辺がスポニチの取材で語った、あの言葉だ。
「40歳。やっと他人の実家を出られる」
この一言は、“人生そのもの”だ。
観客はネタの途中で、この背景を思い出し、笑いの奥にある“時間の重さ”に触れる。

準決勝のステージにおいて、
ドンデコルテの漫才は「面白い」ではなく「沁みる」に近かった。
だからこそ、決勝へ進んだのは偶然ではない。必然だ。

「一言目で空気が“戦場”に変わった」
このマイクロピースは、彼らのためにある。

豪快キャプテン──豪快の裏に潜む緻密さ

豪快キャプテンという名前から、初見の観客は「勢いで押すタイプ」を想像する。
だが準決勝で見えたのは、その真逆だ。
彼らの笑いは“計算”で成立している。

ボケは決して暴れない。
ツッコミも、声を荒げず、温度を一定に保つ。
だが気づけば客席の笑いは波のように揺れている。
これは、言葉のタイミングと角度を極限までコントロールした漫才にしか生まれない現象だ。

準々決勝から調子が良かった彼らは、準決勝でさらに研ぎ澄まされた。
とにかく“ブレない”。
AブロックやCブロックの空気に影響されない、
「独立したリズム」を持っている。

これは彼らの最大の武器であり、決勝進出を決定づけた理由でもある。

観客の笑いのピークの作り方がとにかく上手い。
ツッコミの一言が、「ここまで溜めて、ここで切る」という設計になっており、
その結果、爆発ではなく“地響き”のような笑いが起きる。

「豪快キャプテンの笑いは、爆発ではなく地響きだ。」
まさにこの一文が、彼らの本質を言い当てている。

決勝の大舞台でも、この“揺るぎのなさ”は武器になる。
派手さよりも「精度」を浸透させるタイプの漫才──2025年のM-1が求めていた要素そのものだ。



めぞん──クセの強さが「本線」へ届いた年

めぞんの漫才を一言で表すなら、「違和感の美学」だと思う。
ボケの言葉も、間も、ツッコミの拾い方も、どこか“普通”から半歩ずれている。
しかしその半歩が、観客の脳内に「なんだこれ?」という引っかかりを残し、
やがてそれが笑いに変わっていく。

準決勝のCブロックは、キャラや世界観の強いコンビが揃ったゾーンだった。
そのなかでめぞんが抜けたのは、
「クセの強さ」と「構造のわかりやすさ」のバランスが絶妙だったからだ。

ボケのキャラはかなり尖っている。
しかし、ツッコミがそれを“ただのイジリ”として処理しない。
一度受け止めてから、「この人はこういう星の生まれなんです」とでも言うように、
世界観ごと観客に差し出す。

この「突き放さないツッコミ」があるからこそ、
めぞんの世界は“身内ノリ”にならず、大会のセンターでも通用する笑いへと変わった。

「めぞんのネタを見ながら、僕らは“このコンビと同じ時代に生まれた幸運”を計算していた。」
準決勝の客席でそう感じた人は、きっと少なくない。




たくろう──芸歴の説得力が“最後の壁”を越えた

たくろうは、いわゆる「玄人筋からの評価が高いコンビ」として知られてきた。
ネタの作り方も、テーマの選び方も、どこか実験的で、
「お笑いが好きな人ほどハマる」タイプだ。

しかし、そのスタイルはときに、M-1という大会と噛み合わない年もあった。
面白いのに、届かない。評価は高いのに、結果が出ない。
そうした時間を、彼らは何年も味わってきたはずだ。

2025年の準決勝で見えたのは、
「実験」と「王道」のバランスが、ついに最適解に近づいた姿だった。
たくろうらしい独特の視点はそのままに、
導入のわかりやすさ、ボケのリズム、ラストへの収束が、これまで以上に“揃って”いた。

ツッコミの一言一言にも、「この人たちはもう何度も壁を叩き続けてきたんだろうな」という重みが乗っている。
それは単に芸歴の長さではなく、「負け方の数」に比例する重さだ。

「たくろうがマイクの前に立つだけで、敗退していった何百組分の視線が、そこに重なって見えた。」
準決勝のあの瞬間、僕はそう感じた。

だからこそ、今年の決勝進出は、“ようやく”ではなく「今が一番いい形で届いた」と言いたい。
長く実験を続けてきた芸人だけが持つ説得力が、4分という器にぴったりと収まった年。
それが、2025年のたくろうなのだ。




準決勝で散った21組──“敗者復活”へ向かう物語

決勝に進んだのは9組。
では、残りの21組はどうなったのか。
もちろん、M-1の物語から消えてしまうわけではない。

彼らには、「敗者復活戦」という、もう一つの大舞台が待っている。
テレビの前の視聴者と、寒空の下の観客の前で、もう一度ネタをかける。
そこで勝てば、今度は“正面玄関”ではなく、“裏口から”決勝へと上がっていく。

僕はいつも思う。
敗者復活戦の景色こそ、M-1の本質のひとつだと。
そこに立つのは、決して「惜しかった人たち」だけではない。
むしろ、「今年はまだ終われない」と心のどこかで叫んでいる人たちだ。

準決勝での彼らのネタは、決勝進出組に比べて劣っていたのか?
必ずしもそうとは言い切れない。
構造の選択、順番、ちょっとした噛み。
そのわずかな差が、今年は21組をこちら側に押し出しただけだ。

「準決勝のステージには、“負けた芸人たちの残像”が、はっきりと立っている。」
僕にはそう見えた。
その残像が、敗者復活戦の日に、もう一度輪郭を帯びて現れる。
M-1は、そういう大会だ。




よくある質問(FAQ)

Q1.M-1グランプリ2025の準決勝はどこで開催されましたか?
A. 東京・NEW PIER HALLで開催され、全31組が出場しました。ワイルドカードとして、TVer視聴者投票で選ばれた滝音もこのステージに加わっています。
Q2.ワイルドカード枠とは何ですか?
A. 準々決勝で敗退したコンビの中から、TVerで配信されたネタ動画への視聴者投票で1組だけ復活できる制度です。2025年大会では滝音が選ばれ、31組目として準決勝のステージに立ちました。
Q3.この記事が特に深掘りしているのはどのコンビですか?
A. 決勝進出9組の中でも、とくにドラマ性とネタ構造が際立ったドンデコルテ、豪快キャプテン、めぞん、たくろうの4組を中心に分析しています。それぞれ「40歳の初決勝」「豪快の裏の緻密さ」「クセの美学」「芸歴の説得力」という軸で掘り下げています。
Q4.準決勝で敗退した21組にはどんなチャンスがありますか?
A. 敗退した21組には、テレビ中継も入る「敗者復活戦」への出場権があります。ここで勝ち上がれば、決勝へ進む“最後の1枠”をつかむことができます。準決勝で見せたネタをブラッシュアップしてくるコンビも多く、毎年ドラマが生まれるステージです。
Q5.M-1初心者でもこの記事の内容についていけますか?
A. 大丈夫です。大会の基本ルールや準決勝の位置づけから丁寧に説明しているので、「最近見始めた」という方でも読みやすい構成にしています。一方で、ネタ構造や芸人のキャリアにも触れているので、長年のM-1ファンにも“もう一段深い見方”を楽しんでもらえるはずです。



この記事のまとめ

  • M-1グランプリ2025準決勝は、A〜Dブロックごとに「温度」と「構造」がはっきり分かれた高密度な一夜だった。
  • ドンデコルテ、豪快キャプテン、めぞん、たくろうの4組は、それぞれ異なるかたちで「今年の潮目」を象徴している。
  • 決勝進出9組だけでなく、準決勝で散った21組にも敗者復活戦というドラマの続きが用意されている。
  • M-1は“漫才の大会”であると同時に、“芸人たちの人生が交差する場所”であり、その物語を追うこと自体がファンの楽しみ方である。



おわりに──M-1準決勝という「人生の交差点」へ

僕は毎年M-1を見るたびに、同じ感情に戻ってくる。
「漫才は、笑わせる前に“生きてきた証”を見せてくれる芸だ」という感覚だ。

2025年の準決勝は、その実感をこれ以上なく強くしてくれた夜だった。
40歳で初めて決勝に届いたドンデコルテ。
名前とは裏腹に、緻密さで勝負する豪快キャプテン。
クセの強さを本線まで押し上げためぞん。
長い実験と蓄積の末に壁を越えたたくろう。

彼らの4分には、単なるネタの面白さ以上のものが詰まっている。
そこには、売れない時期のライブ、滑った夜、相方とぶつかった楽屋、
それでもマイクの前に立ち続けると決めた朝──そうした時間が、すべて折り重なっている。

そして、その姿を見つめる僕らファンもまた、
自分の人生をどこかで重ね合わせているのかもしれない。
だからこそ、笑ったあとに少しだけ胸が痛くなる漫才に、僕らは惹かれてしまう。

M-1がある限り、芸人たちは何度でも挑戦し、何度でも傷つき、何度でも立ち上がる。
そのプロセスを見届けること──それこそが、お笑いファンとしての最大の贅沢だと思う。

来年もまた、僕らは同じように準決勝のステージを見て、
誰かの名を心の中でそっと叫ぶのだろう。
そのとき、今日この記事で出会った4組の姿を、あなたの中で少しだけ鮮やかに思い出してくれたら嬉しい。




情報ソース・参考リンク

本記事の内容は、M-1グランプリ公式サイトおよびお笑い専門メディアの一次情報をもとに構成しています。大会の日程やルール、各ラウンドの出場者・結果については、すべてM-1グランプリ公式サイトおよび公式スケジュール/結果ページを確認しています。また、準決勝・全31組のレポートや決勝進出9組に関する情報は、お笑いナタリーQJWeb(クイック・ジャパン)などのお笑い専門メディアの記事を参照し、そこに記載されたコメントや構成、ブロックごとの傾向をもとに分析・再構成しています。ドンデコルテの年齢やコメントに関する情報はスポーツ紙(スポニチ)でのインタビュー記事に基づいており、推測ではなく実際に報じられた発言を前提にしています。なお、ネタの解釈や「技術」「物語」への踏み込み部分は、柳家 笑丸としての個人的な分析・感想であり、公式見解ではありません。



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