俳優と音楽の両輪で走り続ける福山雅治さんは、近年も大規模ツアーや地元・長崎でのライブなど、節目の動きが続いています。
学歴でいえば、長崎市内の公立校から工業高校へ進み、大学には進学していません。
ただし“なぜその進路だったのか”は、本人の資質だけでなく、家庭事情や当時の地方都市の空気も関わってくるはず。
この記事では福山雅治さんの学歴を小学校から高校までひも解いて解説していきます。
この記事を読むとわかること
- 福山雅治さんの小学校・中学校・高校・大学の“確定情報”と、情報の出どころ。
- 長崎の公立校→工業高校という進路が、当時どんな選択だったのか。
- 中学の吹奏楽とバンド体験が、のちの表現にどうつながったのか。
- 「就職→上京」へ向かった背景を、時系列で整理して理解できること。
🎓 |学歴サマリー
| 小学校 | 長崎市立 稲佐小学校(公立)。(出身校記載)。 |
|---|---|
| 中学校 | 長崎市立 淵中学校(公立)。(出身校記載)。 |
| 高校 | 長崎県立 長崎工業高等学校 情報技術科。(出身校記載)。 |
| 大学 | 進学は確認できない(最終学歴は高校卒業)。(競合記事の整理)/(Wikipedia)。 |
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福山雅治が卒業した小学校|長崎市立稲佐小学校
福山雅治さんが卒業した小学校は、長崎市立稲佐小学校です。

長崎の港と坂が入り組む地域で少年期を過ごしています。
小学校時代のエピソード
小学校時代は、放課後に空手の稽古へ通っていました。
決まった曜日には道場に足を運び、基本動作や型の練習を重ねる生活を送っていた時期です。
学校では体を動かすことが好きで、休み時間は外で過ごすことが多くありました。
クラスの中では声がよく通り、発言する場面も目立っていたとか。
学級活動や日常のやり取りの中で、自然と周囲に知られる存在でした。
福山雅治さんは6歳の1975年(昭和50年)4月に小学校へ入学し12歳の1981年(昭和56年)3月に卒業しています。 ※上記は福山雅治さんの生年月日(1969年2月6日)を基に標準的な就学年齢を基準に整理しました。
福山雅治が卒業した中学校|長崎市立淵中学校
中学校は、長崎市立淵中学校です。

在学中はブラスバンド部に所属し、音楽活動に取り組んでいました。
中学校時代のエピソード|ブラスバンド部で部長として担った役割
中学校ではブラスバンド部に所属し、ホルンを担当していました。
入部のきっかけは兄のすすめだったとされ、中学時代の中心的な活動がこの部活動でした。
3年生になると部長を任されます。
当時について、顧問は「誰も部長をやりたがらなかった」と振り返っています。
誰も部長なんてやりたがらなかった。
真面目だった福山くんに部長をまかせたら、朝練から放課後の練習まで、約40人いる部員をうまくまとめていた。引用元:女性自身(2015年12月24日配信)
顧問の証言どおり、部長としての役割は、日々の練習運営を支えることにありました。
練習前の点呼や連絡事項の共有、進行の確認など、部の活動は部長を軸に進められていたようです。
部員数が多い中でも、練習は比較的落ち着いた雰囲気で行われていたといいます。
一方的に指示を出すのではなく、全体を見渡しながら調整する立ち位置だったことがうかがえます。
一方で、当時の福山雅治さんは女子生徒の間で人気の高い存在でもありました。
音楽室には、名前を書いた落書きが残されていたという話も伝えられています。
色白で女の子から人気があり、音楽室には「福山くん大好き」「福山くん命」なんて落書きがあって、毎日消すのが大変だった(笑)。
他校の女子生徒がわざわざ練習を見に来ることもあった。引用元:女性自身(2015年12月24日配信)
他校の生徒が練習を見に訪れることもありましたが、本人はそうした状況に気を取られる様子はなかったといいます。
部長としての役割を優先し、練習や行事の準備に目を配っていた姿が、周囲の記憶に残っています。

福山雅治さんは後年、「前に出るより、全体を見る役回りだった」と振り返っています。
中学時代のブラスバンド部では、注目を集めながらも、部を回す側に立っていた様子が伝わってきますね。
中学後半のエピソード|初恋とバンド活動
ブラスバンド部での活動と並行して、中学後半には私生活でも変化がありました。
中学3年生の頃、同級生の女子生徒と交際し、これが福山雅治さんにとって初めての恋だったとされています。
初デートでは、地元の祭りに出かけたことを、本人が後年のインタビューで振り返っています。
「手を握るのが精一杯だったけど、手の汗がすごくてさ。
一度手を離すと、次に握るタイミングが難しかった」引用元:女性自身(2015年12月24日配信)
この交際は、高校進学後もしばらく続いたと伝えられています。
中学生らしい、比較的落ち着いた付き合いだった様子がうかがえますね。
また同じ時期、クラスの仲間数人とアマチュアバンドを結成。
ブラスバンドとは別に、ギターを手にして音楽に触れる時間も増えていきました。
文化祭では、影絵劇の演出でトランペットを一人で担当し、福山雅治さんのクラスだけが生演奏だったというエピソードも残っています。
学校行事の中でも、音楽を任される場面が多かった時期でした。
部活動、恋愛、バンド活動。
中学後半は、学校生活の中で「音楽」と「人との関わり」が重なり合っていく時間だったと言えます。
この流れが、高校進学後の進路選択へとつながっていくことになります。
※上記は福山雅治さんの生年月日(1969年2月6日)を基に標準的な就学年齢を基準に整理しました。
福山雅治が卒業した高校|長崎県立長崎工業高等学校
中学校卒業後は、長崎県立長崎工業高等学校へ進学しています。
学科は情報技術科。
当時としては、比較的新しい分野を扱う学科でした。

普通科ではなく工業高校を選んだ背景には、早い段階で就職を視野に入れていた事情があります。
家庭の事情もあり、大学進学を前提としない進路を選択していた時期でした。

高校生活の中心は、授業と部活動、そして音楽です。
中学時代から続いていた音楽への関心は、高校に入ってからも途切れることはありませんでした。
高校時代のエピソード|工業高校での生活と音楽
情報技術科では、電気や情報処理に関する基礎科目を学んでいます。
実習中心の授業が多く、座学よりも手を動かす時間が長い環境でした。
一方で、放課後や休日は音楽に費やす時間が増えていきます。
同級生とバンドを組み、ギターを手にして練習を重ねていました。
髪型をリーゼント風に整え、ライブにも挑戦しています。
この頃から、人前で演奏することへの抵抗は薄れていったようです。
文化祭などの学校行事でも、音楽に関わる場面が多くありました。
クラスや仲間内では、音楽担当として名前が挙がる存在だった時期です。
高校卒業後の進路|就職と上京を意識し始めた時期
高校卒業後は、地元企業への就職が内定していました。
工業高校としては、ごく一般的な進路です。
ただ、高校生活の後半になると、音楽や表現の世界への思いが強くなっていきます。
地元に残る進路と、外に出る選択肢の間で揺れていた時期でもありました。
結果的に、就職内定を辞退し、上京を決断します。
この判断が、その後の人生を大きく動かす転機になっていきます。
18歳の1987年(昭和62年)3月に卒業しています。
福山雅治は大学に進学していない|最終学歴は高校卒業
福山雅治さんは、大学には進学していません。
最終学歴は、長崎県立長崎工業高等学校の卒業です。
当時の工業高校では、高校卒業後に就職する進路が一般的でした。
福山雅治さんも例外ではなく、高校在学中に地元企業への就職が内定しています。
大学進学を前提とした進路ではなく、社会に出る準備を進めていた時期でした。
高校卒業後の進路|就職内定と上京の決断
高校卒業を控えた頃、福山雅治さんは地元企業への就職が決まっていました。
工業高校出身者として、ごく自然な進路だったと言えます。
一方で、高校生活の後半になるにつれ、音楽や表現の世界への思いが強まっていきます。
バンド活動を通じて、人前で演奏する経験を重ねていた時期でもありました。
就職か、上京か。
進路をめぐって迷いがあったことは、後年のインタビューでも語られています。
最終的に、内定していた就職を辞退。
東京へ出る決断を下します。
上京後の生活|音楽と俳優を志した下積み時代
上京後は、専門学校に通いながら生活していました。
音楽や俳優に関わる分野を学びつつ、アルバイトを掛け持ちする日々が続きます。

決して順風満帆なスタートではありません。
生活費を工面しながら、表現の道を模索していた時期でした。
この頃の経験が、後のデビューへとつながっていきます。
高校卒業後すぐに社会へ出る選択をしていたからこそ、早い段階で現実と向き合う時間を持てたとも言えるでしょう。
この記事のまとめ
- 福山雅治さんの最終学歴は、長崎県立長崎工業高等学校の卒業で、大学には進学していません。
- 工業高校在学中に地元企業への就職が内定しており、当初は就職を前提とした進路を選んでいました。
- 高校卒業を前に進路を見直し、就職内定を辞退して上京する決断をしています。
- 上京後は専門学校に通いながら、音楽と俳優の道を志し、下積み生活を送っていました。
福山雅治の学歴に関するよくある質問
おわりに
福山雅治さんの学歴を時系列で追うと、大学進学を前提としない進路選択が一貫していることが分かります。
工業高校への進学、就職内定、そして上京という流れは、当時の時代背景や家庭環境を踏まえれば、決して特別なものではありませんでした。
その中で、安定した道を一度は選びながらも、自身の関心や表現への思いを優先して進路を切り替えた点は、福山雅治さんの人生を考えるうえで重要な要素と言えます。
学歴そのものよりも、どの段階で何を選び、どこで方向転換を決断したのか。
この記事が、その判断の積み重ねを理解する手がかりになれば幸いです。
プロフィール
| 名前 | 福山 雅治(ふくやま まさはる) |
|---|---|
| 生年月日 | 1969年2月6日 |
| 出身地 | 長崎県長崎市 |
| 職業 | 俳優、歌手、シンガーソングライター |
| 所属事務所 | アミューズ |
| 最終学歴 | 長崎県立長崎工業高等学校 卒業 |
| デビュー | 1990年(俳優デビュー) |
情報ソース
- Wikipedia「福山雅治」https://ja.wikipedia.org/wiki/福山雅治
- 芸能人有名人学歴偏差値.com「福山雅治の学歴」https://yumeijinhensachi.com/archives/1785
- 女性自身(2015年12月24日配信)https://jisin.jp/entertainment/entertainment-news/1612464/


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