還暦を過ぎ、けれども歌手としてのソウルは衰えることなくまだまだ現役そのものの桑田佳祐さん。
今回は桑田佳祐さんの
①出生や家族構成
②小学校と中学時代、卒業した高校や大学の偏差値
③芸能界デビューのきっかけや経歴
をご紹介致しますね。
それではさっそく、桑田佳祐さんの出生と家族構成、小学校や中学時代を見ていきましょう
桑田佳祐の出生
桑田佳祐さんは1956年2月26日神奈川県茅ヶ崎市南湖6丁目で生まれます。
桑田佳祐の家族構成
家族構成は、お父様、お母様、お姉様、桑田佳祐さんの4人家族。
お姉様は「いとしのエリー」のモデル?で女性ミュージシャン及び作詞家の岩本えり子。
お父様は映画館や飲食店を経営したりと忙しい人だったそうです。
桑田佳祐の小学校時代
1962年に※1茅ヶ崎市立茅ヶ崎小学校に入学した桑田さん。
その頃から早くも将来の夢は歌手と漠然と考えていたんですが、話の通じない先生によっては、ひとまず建築家や弁護士になりたいと答えていたとの事。(無難ですね!)
吉田拓郎や井上陽水等、桑田さんより上の世代が『ビートルズ』に影響を受けたとよく聞きますが、桑田さんも多分に漏れず、何と小学校2年生くらいの頃から聴きだしているます。
これはお姉様の影響が大きいみたいです!
ところで、意外な事にこの頃の桑田さん音楽の成績は毎回1で、よくても稀に2だったそう!
性格もおとなしかったそう!変わりますよね~。
※1卒業生には加山雄三さん(俳優、歌手、タレント)や杉本哲太(俳優)さんがいます。
桑田佳祐の中学校時代
中学は1968年に※2茅ヶ崎市立第一中学校に入学。
また、部活は野球部に所属でエース。同じ野球部にはサザンオールスターズの名付け親の宮治淳一とがおり、この頃からの付き合い。
同じ野球部で汗を流した同級生は当時を振り返ってこう語っています。
⓵「OBがコーチをしてくれてたんですけど、その人はサイドスローに転向させるのが好きで、桑田君も横から投げるようになりました。コーナーを丹念に突き、低めにボールを集めて、打たせて取るピッチングでした。
おかげで私のところによくゴロが飛んできました。変化球はカーブくらい。当時としてはそんなもんでしょう。
厳しいチームで、正月くらいしか休まない。1年中練習をしていました。でも3年の時は強いチームと当たったため、たしか市の2回戦で負けてしまいました。」
弟が幼稚園から中学まで同級生だったため、桑田さんのことをよく知る人は、
⓶「中学時代は野球部で、王や長嶋の真似をしていました。
でも野球よりボウリングが得意で、当時茅ヶ崎にあったパシフィックホテルのボウリング場に通い、ジュニアの大会で優勝したほどの腕前でした。
演歌が好きで、弟と一緒にレコード店に行った時には、前川清のLPを買ったそうです」
そう言えば桑田さんのボウリングの腕前はかなりのものと聞いたことがありますが、この頃から好きだったんですね。
桑田さんの中学時代の通学路に建つパン屋。店主の高橋ツナ子さんが当時をこう語っています。
③「部活が終わるとおなかが空くんでしょう。5~6人で寄るんですよ。特別に、魚肉ソーセージとレタス、トマトを挟んだドッグを作ってあげました。」
高橋さんは7年前に夫を失った。すると「便箋5枚の手紙が来て。『清月の灯を消さないように頑張れますか?』と書かれていて、泣いちゃいました」。
今では「サザン佳祐ドック160円」としてお店の名物になっているそうですよ!
⓵⓶⓷ 以上、週刊朝日2017.9.19 より掲出
※2卒業生には宮治淳一さんや(音楽評論家、ディスクジョッキー)では加山雄三さん(俳優、歌手、タレント)や杉本哲太(俳優)さんがいます。
桑田佳祐の高校と偏差値
桑田さんの高校は鎌倉学園高校です。
卒業生には大御所、堺正章(さかい まさあき)さんがいる鎌倉の名門校なんですね。
偏差値は驚きの68

桑田さんの曲は昔から英語の歌詞が多いですが、この頃得意科目はやはり英語なんですね。
また、ボウリングに熱中しアベレージは200越え。
本気でプロボウラーになろうと考えていたそうなんですね~。
※
因みに、2016年、親交のある矢島純一プロに還暦祝いとしてマイボールをプレゼントされて以降ボウリングを復活。2017年には279点(10フレーム目の1投目を9本、2投目に残りの1本を倒した他はすべてストライク)という高記録を達成しています。
桑田佳祐の大学と偏差値
彼はいつもお金を持っていなかった。というのも、お金があると、友達に奢ってしまい、所持金を全部使ってしまう。翌日からは素寒貧になるわけで、彼の今につながるエンターテインメント性の一つのような気もする。
公開: 更新:
桑田さんが2年生の時、軽音楽サークルに向かう階段で、その時新入生だった将来の妻・原由子さんに初めて出会います。
後に原由子さん、桑田さんへの第一印象は「何となくいじめっ子」。
しかしその時、エリック・クラプトンを聴いていた桑田さんに共感を覚えたといいます。
そして桑田さんのいる「青山フォーク・ソング 出発(たびだち)」というサークルに(サークルはその後分裂して、新たに※『Better Days』を立ち上げ、バンド活動も本格化していきます)入部。
実は桑田さん、大学受験では、青山学院大学の他に明治学院大学も合格。
結局青山学院大学を選んだんですけど、もし明治学院大学に行っていたら原さんと出会う事も無く、”サザンの桑田佳祐”は存在しなかったかもしれませんね。
その後、桑田佳祐と原由子は1982年に結婚しました。
※『Better Days』は「Ya Ya (あの時代を忘れない) 」の歌詞の一節として描かれています。
桑田さんの大切な青春時代そのものだったんですね。
桑田佳祐の芸能界入りのきっかけは?
サザンオールスターズのデビューのキッカケは1977年のこと。
ヤマハが主催し、シャネルズ(1977年入賞、1978年優秀グループ賞)や、エレファントカシマシ(1980年)、SHOW-YA(1981年レディース部門優秀グループ賞、1982年同グランプリ)等を輩出したアマチュアバンドコンテスト『EastWest』。
まだ、学生だった桑田さんですが翌、1978年。サザンオールスターズとして、『勝手にシンドバッド』でビクターよりメジャーデビューを遂げます、
桑田佳祐のデビューから現在に至るまでの経歴
その後の活動は、特に記載せずとも常に日本のミュージック界を第1線でリードしており、還暦をとっくに過ぎた現在もそのスタイルは色褪せずまさにスーパースター。
ざっと40年以上音楽に、TVに、ラジオに、書籍にその他もろもろ。
着実に実績を積み上げ現在に至ります。
おわりに
デビューから現在まで、その音楽活動が全くブレずに、老若男女が好感を持っている『サザンの桑田佳祐』あるいは『ソロの桑田佳祐』。
一日でも長くその歌声を聞かせてほしく思います。
本名:桑田 佳祐
愛称:けいちゃん、桑っちょ、桑田くん
生年月日:1956年2月26日
血液型:AA型(因みに原由子はB型)
出身地:神奈川県茅ヶ崎市
身長:170㎝
所属:アミューズ
職業・シンガーソングライター
ジャンル:ポップ・ロック
活動期間:1977年 –
公式サイト:SOUTHERN ALL STARS OFFICIAL SITE
TARS OFFICIAL SITE