SUPER EIGHT(旧・関ジャニ∞)のメンバーであり、俳優としても存在感を放つ大倉忠義さん。
華やかな芸能活動の裏側には、意外な努力と挫折、そして自力でつかんだ成功の物語がありました。
今回は、大倉忠義さんの学歴や学生時代のエピソードを通して、その素顔に迫ってみたいと思います。
大倉忠義の学歴と芸能界での経歴・出生・家族構成・幼児期
大倉忠義さんは1985年5月16日、大阪府東大阪市にて誕生しました。
家族構成は両親と弟2人の5人家族です。
父親は焼き鳥チェーン「鳥貴族」の創業者・大倉忠司さん。
この肩書きだけ見ると、いかにも“実家がお金持ち”と思われがちですが、店舗数が増えたのは2000年代に入ってから。
本人も「うちはそんなボンボンちゃいます」と公言しており、実際に新聞配達や父の店でのバイトも経験したそうです。
ちなみに、子どもの頃はとても大食いで、小3の頃にはカレーライスを食べすぎて母親に叱られたことも。
“胃袋もビッグスター”だったようですね。
息子から何の祝いもない😂 https://t.co/VrMhwCvZti
— 大倉 忠司 (@TadashiOokura) June 20, 2021
大倉忠義の学歴と芸能界での経歴・小学校
大倉忠義さんの小学校は東大阪市立荒川小学校です。
小学校4年生のとき、大好きだった女の子がV6の森田剛さんのファンだったことがきっかけで、
「僕もジャニーズに入れば見てもらえるかも…!」という思いから、自ら履歴書を送付。
ところが返事が来たのは、なんと2年後。忘れた頃にチャンスがやってきます。
そして小学6年生だった1997年9月6日、晴れてジャニーズ事務所に入所。
同期には錦戸亮さん、丸山隆平さん、安田章大さんと、まさに黄金世代の顔ぶれが揃っています。
大倉忠義の学歴と芸能界での経歴・中学校
大倉忠義さんの中学校は東大阪市立俊徳中学校です(※現在は布施中学校に統合)。
中学時代は、芸能活動と学業を両立しながら、学校生活も送っていました。
テニス部に入部するも、すぐに退部。運動神経には自信があったようですが、テニスラケットは合わなかった模様です。
また、保健体育のテストでは「女性のカラダの仕組み」で98点を取ったという、妙に具体的な武勇伝も。
人生、どこでスキルが役立つかわかりません…。
中3のときにはドラマ『怖い日曜日~2000~』で俳優デビュー。
とはいえ、この頃は仕事も少なく、「鳴かず飛ばずの時期」だったと本人も語っています。
大倉忠義の学歴と芸能界での経歴・高校
大倉忠義さんの高校は大阪商業大学高等学校です。偏差値は42。
部活には参加せず、芸能活動に専念しながら、時には父の店でアルバイトも。
高校時代は人見知りが強く、クラスではなかなか馴染めなかったとも語っています。
2002年、17歳のときに関ジャニ∞が結成されますが、最初はメンバーに入っていませんでした。
バックダンサーとして参加する中、ドラム担当が抜けたことからチャンスが到来。
安田章大さんと丸山隆平さんの推薦で、ドラム未経験にもかかわらず、抜擢されることに。
それから1ヶ月間、猛練習。リハーサルでの必死な姿がジャニー喜多川さんの目に留まり、メンバー入りが決定しました。
大倉忠義の学歴と芸能界での経歴・通信制高校&高卒認定
その後、東海大学付属望星高校(通信制)に編入しますが、こちらも卒業には至りませんでした。
そして2014年、29歳のときに出演した『関ジャニの仕分け∞』の企画で高卒認定試験に挑戦。
中学レベルからやり直し、2ヶ月間で81時間もの勉強を積み重ね、見事合格。
芸能活動をしながらの挑戦には、多くの視聴者が感動しました。
大倉忠義の学歴と芸能界での経歴・大学
大倉忠義さんは大学には進学していません。
その代わりに、関ジャニ∞としての活動を本格化させ、2004年に「浪花いろは節」でCDデビュー。
2006年にはドラマ『シンデレラになりたい』で初主演を務め、以後は俳優としてもキャリアを広げています。
おわりに
大倉忠義さんの学歴は、一見すると波乱万丈。
けれど、その道のりは「努力の積み重ね」で切り拓かれてきたものでもあります。
最初は選ばれなかった関ジャニ∞のメンバー入り。
そして仕事と学業の両立に苦しみながらも、高卒資格を自力で取得。
その姿は、今の華やかな活動の土台になっているように感じられます。
これからも、役者として、音楽人として、着実に歩む彼の姿を応援していきたいですね。
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