タモリさんの小学校から高校までの学歴(偏差値)と経歴

学歴

タモリさんといえばたけし・さんまと並ぶお笑いBIG3。

国民的エンターテインメントですよね!

今回はそんな ”タモリさんの小学校から高校までの学歴(偏差値)と経歴”をご紹介致しますね。

スポンサーリンク

タモリさんの出生 幼少期

タモリさんは終戦から一週間後の1945年8月22日に福岡県福岡市に生まれます。

家族構成は、ご両親と人家族。

またタモリさんの本名の、森田 一義は、祖父が尊敬する田中義一(第26代内閣総理大臣)の名を貰い“森田義一”になる予定だったのが、上の画数と下の画数の落差が大きく頭でっかちな子供になるという事から、ひっくり返して『一義』になったそう。

また幼稚園には、あえて入園拒否をしたタモリさん。

その理由は 『ギンギンギラギラ夕日が沈む♪』(葛原しげる作詞・室崎琴月作曲の童謡『夕日』)と両手を回転させながら歌う園児を見て、「あんな子供っぽいまねはできない」と入園しなかったそう。

しかし 小学校に入るまでの間、毎日坂道に立って行き交う人達を見るだけの暇すぎる日々に入園拒否をしたことを後悔したとも。

タモリさん、この頃から個性的だったんですね!

因みに一日中坂を見ていた為「日本坂道学会」を設立する程坂道好きになりました。

タモリさんの学歴 小学校

タモリさんの小学校は、福岡市立高宮小学校です。

福岡市立高宮小学校

タモリさんのおばあちゃんは、「男も料理ができるようにならないといけない。」と毎日タモリさんに晩御飯の支度をしている姿を見せていたんだそう。

男が台所に入る事はタブー視された時代。随分と進歩的な考えの持ち主のおばあちゃん。

タモリさんの料理が上手いのはこのおばあちゃんのおかげなんですね!

因みに、おじいちゃんは湯を沸かすことしか出来なかったそうで、これがおばあちゃんがタモリさんに料理姿を見せた動機になったそうですが、見ているだけで大体の料理の作り方は覚えたそう。

見ているだけで理解するとは頭いいですね~。

学業成績はトップクラスだったタモリさんですが、小学3年生の下校途中で電柱のワイヤーが右目に刺さってしまいます。
その為、学校を休学し、2か月の療養をしましたが、その甲斐も無く、失明してしまいます。

心の中は辛かったに違いないところ、落ち込む姿を見せず、今までどおり活動します。

そして、小学5年生の時には皆を笑わす為、卒業生を送り出すお別れ会で『喜劇カラス天狗』というお笑い系の台本を書いてウケを狙いますが、ウケけなかったそう。

しかし、このエピソードには後日談があり、大人になってから脚本家として活躍しているその時のクラスメートと再会した際、「実は面白かった」と言われたタモリさん。

その時に言って笑ってくれれば良かったのにと思いますが…。

タモリさんの学歴 中学校

タモリさんの中学校は福岡市立高宮中学校です。

福岡市立高宮中学校

中学では、生徒会の副会長を務め、部活は、剣道部と陸上部に所属。

陸上では、200m走をこなしていたそう。

意外とスポーツマンなんですね!

また、『平尾バプテスト教会』に2年間、ほぼ毎週通っていたタモリさん。

熱心なクリスチャンかと思いきゃ?牧師さんの身振り手振りや話し方が面白くて通い始めていたんですね。

こうした観察眼が、イグアナや中洲産業大学の教授等の形態模写芸に繋がっていったんでしょうか?

タモリさんの学歴 高校

タモリさんの高校はです福岡県立筑紫丘高等学校・普通科です。

福岡県立筑紫丘高等学校

偏差値は驚きの72 難関校です!

偏差値72とは例えば100人中上位1.3%の成績の猛者が集う高校!全国平均では70位の高校です

筑紫丘高校は東大や京大の他、有名私立大学の卒業生を輩出する福岡県でも有数の進学校。

ここでタモリさんは剣道部と吹奏楽部に所属し、吹奏楽部ではトランペットを担当。

また、剣道に刺激を受けたのか、学外の『柳生新陰流兵法居合道』の道場に通い、二段を取得しています。

また、アマチュア無線クラブにも入部しますが、これは船の無線通信士に憧れていたことが入部の理由。

それぞれ4つの場面で活躍しますが、生徒会の副会長もしていたと言いますから、なんてパワフル。

話の引き出しを沢山持っているタモリさんはこの頃から好奇心の赴くまま、色々な事にチャレンジしていたんですね!

タモリさんの学歴 大学

タモリさんの大学は早稲田大学・第二文学部・哲学科・西洋哲学専

で、偏差値は60です。


タモリさんは1年浪人して早稲田大学第二文学部(夜学部)に進学。

夜間部は、2014年に廃止されていますが、平均的の偏差値の下がる夜間部としては高い偏差値でした。

本当は、船が好きだったことで電気通信大学を目指したのですが、試験科目の物理や数学が克服できなかったので、物理や数学の試験科目が無い早稲田大学に変更したタモリさん。

浪人中はしばしば押し入れにこもって、九州という土地柄、中国や韓国から送られてくるラジオ放送を聞いていましたが、この体験が「4か国語マージャン」などの「インチキ外国語芸」を生み出す事になります。

また、タモリさんと言えば、熱烈な『サユリスト』で、早稲田大学に変更した理由は、吉永小百合さんが通っていたからともいわれており、実際に学食で遭遇した事もあったそう。
因みにタモリさん1年の時吉永さんは3年生でした。

早稲田大学を除籍になった理由は

学業に優秀なタモリさんが早稲田大学を除籍になった理由は、大学2年生の時、ゴールデンウイークを利用して2人の友達と旅行に行くことになり、友達2人分の旅行代を仕送りされたタモリさんの学費で建て替えたものの、その友達が旅行代金を返してくれなかった為、学費を払えずに除籍になったそう。

普通なら「なんて奴だ!」と怒る所ですが、その後もその友達とは仲がいいみたいです。

学籍は一年でなくなっちゃいました。
つまずきの始まりは、同級生三人で、二年になる時の五月の連休にどこかへ旅行に行こうということになって、その時最初に仕送りが来たのが僕だったんですね。
その二人は後で仕送りが来るから、一旦オレの金を使おうっていうんで旅行に行ったんですけれども、二人とも返しゃしないんですよ。
そのお金、学費だったんです。
それで、「学費未納のため抹籍」という処分になりました。
あいつらのおかげです(笑)。
でも、あいつらとはいまだに付き合ってますけどね。
早稲田ウィークリー
第800号記念 タモリ ロングインタビュー)より

しかし、この限られた大学生時代でもタモリさんは有意義に過ごします。

『ジャズ』を聞いて夢中に!

タモリさんは大学生になって初めて『ジャズ』を聞いて夢中になったそうです。

お姉さんがクラシックピアノをやっていた関係で、クラシックも一通り聞いたし。チベットの音楽まで聞いたというタモリさんでしたが、アート・ブレーキーのレコードを聞いたら、どこがいいのか分からず、分からないということは今まで無かったので、レコードを借りて、家でじっくり聞いたら、その瞬間から好きになったそう。

高校時代からトランペットを吹けたタモリさんは、早稲田大学の『モダンジャズ研究会』に入部。

しかし、先輩から「マイルスのトランペットは泣いてるけれども、お前のトランペットは笑ってる」と言われ、3日でトランペットから降ろされてマネージャーをすることになります。

しかし、タモリさんのトランペットは決して下手ではなく、むしろ上手い部類だと思われるのですが…。

実は、同期にはギタリストの増尾好秋さんや1学年先輩にはベーシストの鈴木良雄さんがおり、大学生でありながら、プロレベルの研究会だったようです。

因みに、『タモリ』という本名の森田を逆転させた芸名を使い始めたのは、この頃からでした。

タモリさんの司会が注目!

タモリさんの司会といえば、『笑っていいとも!』や『ミュージックステーション』で実証済ですが、マネージャーをしながら舞台の司会もするようになったこの時代。

先輩からは「お前の司会の合間に演奏をしているわけじゃない。」と言われる程、タモリさんの司会が面白いと評判になります。

そして、TBSラジオの番組『大学対抗バンド合戦』に司会として出演すると、番組の司会をしていた大橋巨泉さんから才能があるとお墨付きをいただいたそうです

 

まとめ

ここまで ”タモリさんの小学校から高校までの学歴(偏差値)と経歴”をご紹介してきました。

この先もタモリさんの更なる活躍を期待しています。

最後まで読んで下さりありがとうございました。

♦タモリさんのプロフィール
本名: 森田 一義(もりた かずよし)
ニックネーム :タモリさん タモさん[1] タモちゃん
生年月日:1945年8月22日
出身地:福岡県福岡市南区市崎
血液型:O型
身長 :161 cm
趣味:
特技:
師匠 :赤塚不二夫
芸風 :漫談 物真似(形態模写) など
事務所 :オフィス・ゴスミダ→フリーランス→田辺エージェンシー
活動時期 :1975‐
同期 :ザ・ハンダース(現在は解散) 嘉門タツオ

タイトルとURLをコピーしました