ディーン・フジオカの学歴(高校・大学)及び芸能界デビューのキッカケ

学歴

2021年度の大河ドラマ「青天を」に、実業家・五代友厚役で出演していた ディーン・フジオカさん。

フジオカさんが大河ドラマを演じるのは初めてなんですが、五代友厚役は2015年度後期の連続テレビ小説「あさが来た」でも演じており、人気を博していました。

特に五代友厚が過労で倒れ、朝ドラから卒業した時等は「五代様ロス」等と揶揄され、世の女性達の郷愁を誘った事をついこの間の様に覚えています。

イケメンですよね✨

 

2012年に中国系インドネシア人と結婚し、2014年に男女双子が誕生

また、2017年3月には第3子が誕生したことを明らかにしました。

最近では、ファンが選ぶ「ミステリアスな役が似合う俳優ランキング」では、綾野剛や松田龍平を抑え1位を獲得。

今回は”ディーン・フジオカの学歴(高校・大学)及び芸能界デビューのキッカケ”というテーマで

ディーン・フジオカさんの

①出生と幼少期

②卒業した高校や大学の偏差値

③芸能界デビューのきっかけ

 

等をご紹介致しますね。

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ディーン・フジオカの出生と幼少期

1980年(昭55)8月19日福島県須賀川市で生まれ、物心がつく頃まで同市内で暮らしていました。

お父様はご両親の仕事の関係で中国の山西省生まれですが、日本人。

小学生の頃のディーンフジオカさんの写真

ディーン・フジオカさんもその「ディーン」という名前からハーフなのではと思われがち(お顔も整っていますし)ですが、両親も祖父母も日本人で福島県須賀川市出身

実妹は、元チェキッ娘の藤岡麻美さんです。

ピアノの先生をしていた母親から幼少時からピアノを習っていたこともあり、音楽的なものに才能を発揮(後に中学の吹奏楽部で活躍していた妹の麻美さんと一緒にバンドを組んでライブをやっていたこともありました)。

家にはピアノの他にも楽器や譜面があり、いつもクラッシック音楽がかかっていたそうです。

ミュージシャンになるには最高の環境ですね!

また生まれてから幼少期まで中国の山西省で育った父親は英語と中国語が堪能。

この頃からディーン・フジオカさんに英語と中国語を教えていました。

今では5ヵ国語を話すディーンさんですが(日本語、英語、広東語、北京語、インドネシア語)きっとこの頃の語学力が基礎になっているんですね

一家はその後、千葉県鎌ケ谷市に転居します。

ディーン・フジオカの高校と偏差値は?

ディーン・フジオカさんの高校は千葉県立船橋高等学校です。

 船橋高校

千葉県立船橋高校は、千葉県立千葉高等学校、千葉県立東葛飾高等学校と並んで『千葉県公立高校御三家』と言われるほどの進学校で有名です。

著名な出身者には第95代内閣総理大臣・、野田佳彦さんや、お笑いタレントの劇団ひとりさんがいます。

偏差値は驚きの74

偏差値74とは例えば100人中上位0.8%の成績の猛者が集う高校!全国平均では34位の高校です。

 

芸能人超難関70~78偏差値高校ランキング(2024年度版)とその後の進路
偏差値70以上の高校を更に細分化、有名人出身の高校、偏差値70から78までの有名人を紹介すると共にその進学先、就職先もまとめてみました。

 

顔よしスタイルよしのディーン・フジオカさん。頭能もキレキレでした!

高校2年の時ジュノン・スーパーボーイ・コンテストに出場!

高校ではバンドを組みロン毛で目立っていたディーンさん。

高校2年の時(1997年)、妹が勝手に応募した第10回ジュノン・スーパーボーイ・コンテストに藤岡竜雄の本名で出場して、最終選考まで残ったりしました。(因みにこの時のグランプリは稲葉俊明さんという方ですが芸能界には入っていません)

ディーンフジオカの大学と偏差値

ディーンフジオカさんの大学は

シアトル・セントラル・カレッジ・IT専攻

 シアトルセントラルカレッジ

偏差値は不明。

アメリカ、シアトルにある短期大学です。

酷い花粉症に悩んでいたディーンさんは高校卒業後は日本脱出することに決めており、単身渡米したんですね。

また、将来的にはIT関連の仕事をすることを目指していたディーンさん。

ITを学ぶならアメリカ!という事も手伝ってこのカレッジで学びます。

既に英語はペラペラでしたので、特に留学のハンデは無かったようですね✨

ディーン・フジオカの芸能界入りのきっかけは?

カレッジ卒業そのままアメリカはIT関連の仕事に就くはずだったディーンさん。

しかし運悪く9・11の大惨事が発生し、滞在ピザが取れない事に。

ただ、この時カレッジの教授の「これからはアジアの時代が来る!」という言葉を思い出し、

所縁のある香港へ旅立ちます。

ディーンフジオカさんの写真

ディーンさんの芸能界入りのきっかけを作ったのは香港でのモデル仕事。

イケメンで身長180cmのディーンさんが香港のクラブでラップを演奏しているのを、スカウトされたのが始まりです。

ラップの演奏は飛び入り参加で、スカウトされたのもお客さんとしてファッション雑誌編集者が偶然居合わせたからなんですが、運命はわからないものですね。

俳優としてのデビューは、モデルとして人気が出てきた頃。

2006年公開の映画『八月の物語』では早くも主役を演じます。

その後は、日本に進出。

逆輸入俳優」とも呼ばれましたが、着実に実績を積み上げ現在に至ります。

おわりに

ここまで”ディーン・フジオカの学歴(高校・大学)及び芸能界デビューのキッカケ”というテーマでディーン・フジオカさんをご紹介させて頂きました。

幼少期より、国際的、音楽的に良い環境下で育ったジェーン・フジオカさん。

彼の足跡はそれまでの日本人の俳優には無い、国際色に富んだものです。

きっと今の栄光を掴むまでは、石橋を飛び越えて渡る位の勇気と、冒険心があったことでしょう。

また、俳優だけではなくミュージシャンとしてのクオリティの高いジェーン・フジオカさん。

この先も更なる活躍を期待しています。

 

本名:藤岡竜雄(ふじおかたつお)
英語:DEAN FUJIOKA・中国語:藤岡靛
愛称:フジタツ・(香港:アディーン)
生年月日(星座):1980年8月19日(しし座)
血液型:A型
出身地:福島県須賀市生まれ、千葉県鎌ケ谷市育ち                 所属:アミューズ
職業・ジャンル:俳優・映画監督・ファッションモデル・歌手
活動期間:2004年~2006年、香港映画『八月の物語』で俳優デビュー2013年シングル『My Dimension』でミュージシャンとしても活動開始。
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