透明感あふれる演技と、心に響く歌声で観る者を魅了し続ける女優・上白石萌歌さん。
姉である上白石萌音さんと共に、今や日本のエンターテインメント界に欠かせない存在です。
彼女のその多彩な才能と輝きの源泉は、一体どのような学生時代や経歴によって育まれたのでしょうか。
本記事では、彼女の学歴を小学校から大学まで深く掘り下げ、芸能界デビューのきっかけから現在までの輝かしい軌跡を辿ります。
この記事を読むとわかること
- 上白石萌歌さんの出身小学校・中学校・高校・大学に関する詳細な情報
- メキシコでの生活など、ユニークな原体験を含む各学校時代のエピソード
- 芸能界を目指したきっかけと「東宝シンデレラ」オーディションの秘話
- 学業と芸能活動を両立させた大学生活と、その後のキャリアへの影響
- 女優、そしてアーティスト「adieu」としての多岐にわたる活動の軌跡
上白石萌歌の学歴と芸能界での経歴・出生・家族構成・幼児期
2000年2月28日、鹿児島県で生まれた上白石萌歌さん。

家族は、社会科教師のお父様、元音楽教師でピアノ指導者のお母様、そして2歳年上で同じく女優・歌手として活躍する姉の上白石萌音さんの4人家族です。
音楽やエンターテインメントが常に身近にある家庭環境が、後の姉妹の才能を育んだと言えるでしょう。

幼少期のエピソード:メキシコでの3年間が育んだもの
彼女のキャリアを語る上で欠かせないのが、幼少期のユニークな経験です。
お父様の仕事の都合で、小学校1年生から3年生までの3年間を家族でメキシコに移り住んでいました。
当初は姉の萌音さんと揃って内気な性格だったそうですが、現地の陽気な人々とのふれあいの中で、その性格は大きく変わり、明るく天真爛漫な少女へと成長しました。
帰国した際には、周囲が驚くほど変わっていたといいます。
メキシコの強烈な色彩感覚やアートに触れた経験は、彼女の感性を豊かにし、後の表現活動にも大きな影響を与えました。
このメキシコでの3年間は、彼女の人格形成と国際感覚を養う上で、非常に重要な期間となったのです。

上白石萌歌の学歴と芸能界での経歴・小学校
上白石萌歌さんの小学校時代は、メキシコと日本の二つの国にまたがっています。
- 日本メキシコ学院(メキシコシティ、小学校1年生~3年生)
- 鹿児島市立皇徳寺小学校(鹿児島県、小学校4年生~6年生)
小学校時代のエピソード
メキシコでは、日本人学校である「日本メキシコ学院」に通っていました。

現地の文化に触れながら日本の教育を受けるという貴重な経験を積みます。
日本に帰国後、鹿児島市立皇徳寺小学校に転入。

この学校は姉の萌音さんも通った母校であり、後年、姉妹で同校の創立30周年記念式典に祝福のビデオレターを送っています。
そして、彼女の人生を大きく変える出来事が小学校5年生の時に訪れます。
それが、第7回「東宝シンデレラ」オーディションへの応募でした。
上白石萌歌さんは6歳の2006年4月に小学校に入学し、12歳の2012年3月に卒業しています。
上白石萌歌の学歴と芸能界での経歴・中学校
中学校も、芸能活動の本格化に伴い、鹿児島と東京の2つの学校に通いました。
- 鹿児島市立皇徳寺中学校(鹿児島県、中学1年生)
- 実践学園中学校(東京都、中学2年生~3年生)
中学校時代のエピソード
中学校入学当初は、小学校から引き続き地元の鹿児島市立皇徳寺中学校に通っていました。

しかし、芸能活動が本格化し、姉の萌音さんが高校進学を機に上京することになったため、萌歌さんも中学2年生の時に東京の実践学園中学校へ転校します。

偏差値は43とされています。
慣れない東京での生活、特に複雑な電車の乗り換えや渋谷のスクランブル交差点の人の多さには当初、大変驚いたと語っています。
この時期から、学業と芸能活動を両立させる多忙な日々が始まりました。
ドラマ「幽かな彼女」や「金田一少年の事件簿N」などに出演し、女優としてのキャリアを着実に積み重ねていきました。
上白石萌歌さんは12歳の2012年4月に中学校に入学し、15歳の2015年3月に卒業しています。
上白石萌歌の学歴と芸能界での経歴・高校
高校は、中学校からエスカレーター式で実践学園高等学校に進学しました。
高校時代のエピソード
実践学園高等学校は、偏差値が58~62とされ、進学校としても知られています。
萌歌さんは「勉強も、お仕事も、どちらも中途半端にしたくない」という強い意志を持ってこの学校を選びました。
芸能活動がますます多忙になる中、学業との両立は決して簡単なことではありませんでした。
しかし、彼女は仕事の合間を縫って勉強に励み、見事に両立を果たします。
この頃の経験が、彼女の真面目で努力家な人柄をさらに強固なものにしたのでしょう。
また、高校時代は、女優としての飛躍の時期でもありました。
高校1年生の時には、ミュージカル「赤毛のアン」で、前年に姉の萌音さんが演じた主役のアン・シャーリー役を見事に引き継ぎました。
また、2016年から放送されたキリンビバレッジ「午後の紅茶」のCMシリーズでは、その透き通るような歌声で大きな注目を集め、お茶の間にその名を知らしめました。
上白石萌歌さんは15歳の2015年4月に高校に入学し、18歳の2018年3月に卒業しています。
上白石萌歌の学歴と芸能界での経歴・大学
高校卒業後、上白石萌歌さんは明治学院大学 文学部 芸術学科に進学しました。

大学時代のエピソード
偏差値55.0とされる明治学院大学文学部芸術学科で、彼女は芸術理論や美術史、映像学など、自身の表現活動に直結する分野の学びを深めました。
大学在学中も彼女の活躍は留まることを知りません。
2018年には、ドラマ「義母と娘のブルース」で綾瀬はるかさん演じる主人公の娘・みゆき役を好演。
この作品は彼女にとって大きなターニングポイントとなり、女優としての覚悟が決まったと語っています。
同年公開の映画「羊と鋼の森」では姉の萌音さんと初共演を果たし、第42回日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞するという快挙を成し遂げました。
さらに、細田守監督のアニメーション映画「未来のミライ」では主人公・くんちゃんの声優を務め、その表現力の幅広さを示しました。
多忙を極める芸能活動との両立は困難を伴い、通常4年での卒業は叶いませんでしたが、強い意志で学業を続け、2023年3月に5年をかけて見事卒業したことを自身のSNSで報告しています。
彼女は大学生活を振り返り、「両手で抱えきれないほどの財産をもらいました」と感謝の言葉を綴っており、学業への真摯な姿勢がうかがえます。

映画「羊と鋼の森」で姉の萌音さん(右)と姉妹役を演じる上白石萌歌
芸能界デビューのきっかけと経歴
彼女の運命を決定づけたのは、2011年に開催された第7回「東宝シンデレラ」オーディションです。
元々は姉の萌音さんが応募する予定でしたが、応募要項を見た萌歌さんが「お姉ちゃんが受けるなら私も」と、軽い気持ちで応募したのがきっかけでした。
しかし、彼女が秘めていた才能は審査員の心を掴みます。
応募総数44,120人の中から、審査員満場一致で、史上最年少となる10歳でグランプリに輝きました。
姉の萌音さんも審査員特別賞を受賞し、類い稀なる才能を持つ姉妹が同時に芸能界への扉を開いた瞬間でした。

グランプリ受賞後、2011年にファッション雑誌『ピチレモン』の専属モデルとして活動を開始。
翌2012年にはドラマ「分身」で女優デビューを果たします。
その後は、前述の通り、舞台、CM、ドラマ、映画、声優と、ジャンルにとらわれることなく活躍の場を広げていきます。
さらに、2017年からは「adieu(アデュー)」名義で本格的に歌手活動もスタート。

その唯一無二の歌声は多くの音楽ファンを魅了し、アーティストとしても高い評価を得ています。
この記事のまとめ
- 上白石萌歌さんは鹿児島県出身で、幼少期に3年間メキシコで生活した経験を持つ。
- 小学校はメキシコの日本人学校と鹿児島市の小学校、中学校は鹿児島市と東京都の学校に通った。
- 高校は東京都の実践学園高等学校、大学は明治学院大学文学部芸術学科を卒業している。
- 2011年、10歳で「東宝シンデレラ」オーディションのグランプリを史上最年少で受賞し、芸能界入りした。
- 学業と芸能活動を高いレベルで両立させ、ドラマ「義母と娘のブルース」や映画「羊と鋼の森」などで女優として大きな飛躍を遂げた。
- 現在は女優業に加え、「adieu」名義での歌手活動など、多方面でその才能を発揮している。
おわりに
メキシコでのユニークな原体験から始まり、学業と芸能活動という二つの道を真摯に歩み続けてきた上白石萌歌さん。
その一つ一つの経験が、彼女の表現に深みと輝きを与えています。
常に謙虚に、そしてひたむきに努力を続ける彼女の姿は、多くの人々に勇気と感動を与えてきました。
女優として、アーティストとして、一人の表現者として、彼女がこれからどのような新しい景色を見せてくれるのか。
その無限の可能性から、ますます目が離せません。



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