その演技力で圧倒的な存在感を醸し出している俳優の阿部寛さん。
今回は阿部寛さんの
①出生と幼少期
②卒業した高校と偏差値
③卒業した大学と偏差値
④芸能界入りのキッカケ
⑤経歴
等をご紹介致しますね。
阿部寛の出生と幼少期
阿部寛さんは1964 神奈川県横浜市神奈川区で 生まれました。
家族構成は、お父様、お母様、お兄様とお姉様そして阿部寛さんの5人家族。
父親は157センチくらいしかなくて兄も姉も普通。僕だけ背が高い(笑)。
=2018/02/04付 西日本新聞朝刊より掲出=
小学生の頃から足が早く、徒競走ではいつも1位!
幼稚園から小学5年生までは、常に学年で一番で負けたことが一度もなかったそうです。
しかし、小学5年生になった時には初めて徒競走でクラスメイトに負けてしまい、負けず嫌いな阿部寛さん、その時の事を番組でこう発言しています。
阿部寛の卒業した大学と偏差値
の阿部寛さんの大学は中央大学理工学部電気工学科です。
偏差値は55(難関)。
ドラゴン桜並みに東大とはなりませんでしたが、見事、難関大学にストレートで合格しているんですね!
阿部寛の芸能界入りのきっかけ
1983年、大学在学中に、お姉さんの薦めと副賞の車が欲しいという不純(笑)な動機で「集英社第3回ノンノボーイフレンド大賞」に応募しますが、ナント優勝。
雑誌「メンズノンノ」などのカリスマモデルとして一躍有名となります。
阿部寛さんめっちゃ若い !!
1986年のお写真。
メンズノンノのカリスマモデルとしても活躍されてました。
1987年 【はいからさんが通る】で俳優デビュー! pic.twitter.com/ZOTSDqRif4— ジェラスガイ坂本 80s (@2Kkh0) May 22, 2017
阿部寛の経歴
メンズノンノ創刊号から43号まで3年6ヵ月に渡り連続で表紙を飾った阿部寛さん。
そんな華々しいデビューを飾った阿部寛さんは、その勢いのまま、映画『はいからさんが通る』(1987年)に出演。
当時は珍しいモデルから俳優デビューへと進み、ここでも注目を集めます。
しかし、阿部寛さんの順風満帆な芸能活動はここで一旦、停滞。
阿部寛の不遇の時代
爽やかなモデルの印象が逆に仇となり、出演の以来も滞りがちに、とくに189cmという高身長が(実際は190cm以上あるらしい)相手の女優と釣り合いがとれず、高身長故の体格がネックになり、いつしか仕事が激減。
それでも3年間ほど、半ばパチプロのようにパチンコで食いつないでいましたが、バブルが弾けて投資用に購入しておいたマンション相場が暴落。
ナント億単位の借金を抱える事となります。
阿部寛の復活劇は「あの人は今」に取り上げられた事
-「あの人は今」で取り上げられたことがあるとか?―の質問に対して
阿部 びっくりしました。この世界に入って3年たたないうちですよ。写真貸さなかったですけどね、たぶん。でもそれで目が覚めた。イメージを気にしてやってる場合じゃないなって。それ以降は先輩の現場に行って、自分が良いなって思う人をずっと眺めてヒントを探してた。そんな時期があると悔しいってエネルギーが湧いてくるんです。それが支えになってくれる。
=2018/02/04付 西日本新聞朝刊より掲出=
そう語っていましたが、何かが変化した阿部寛さん、その後は1993年に舞台「熱海殺人事件モンテカルロ・イル―ジョン」( つかこうへい演出)で出演を努めますが、バイセクシャルの刑事役といういままでに無いキャラクターが話題を呼び、そこから映画、舞台テレビドラマとあらゆるジャンルに挑戦!
自らの新境地を切り開いて着実に実績を積み上げ現在に至ります。
おわりに
ここまで”阿部寛の学歴と偏差値(高校・大学)及び芸能界入りのキッカケと経歴”というテーマで阿部寛さんをあまねくご紹介させて頂きました。
端正なお顔立ちですか、それに頼らない灰汁の強い個性が交いまみえる阿部寛さん!
この先も更なる進化を期待しています。
最後までお読みいただきありがとうございました。
阿部寛(あべひろし)プロフィール
本名:同じ
生年月日:1964年6月22日
血液型:A型
身長:189cm
出身地:神奈川県横浜市神奈川区
所属:茂田オフィス
職業・ジャンル:俳優・モデル
活動期間:1983~
そうした事もあってか中学ではもっと早くなりたいと陸上部に入部します。
負けず嫌いな性格がここでも発揮されました。
阿部寛の卒業した高校と偏差値
阿部寛さbんの高校は、神奈川県立白山高等学校です。
偏差値は43。
偏差値43で、その頃は、進学率もあまり高くなかった高校でしたが、阿部寛さん大学受験に向けてドラゴン桜並みに猛勉強をします。