🎓 |学歴サマリー
| 小学校 | 魚沼市立小出小学校 |
|---|---|
| 中学校 | 魚沼市立小出中学校 |
| 高校 | 新潟県立小出高等学校(偏差値:43-45) |
| 大学 | 日本体育大学 体育学部(偏差値:45-50) |
👉
芸能人の卒業大学一覧【大学別】|出身有名人と学歴を徹底まとめ
SNSの総フォロワー数は数百万を超え、舞台『千と千尋の神隠し』では青蛙役としてロンドン公演も成功させたおばたのお兄さん。
小栗旬さんのモノマネで一躍スターダムにのし上がった彼ですが、その素顔は「日本体育大学卒」という筋金入りのアスリートです。

舞台「千と千尋の神隠し」:青蛙役を演じるおばたのお兄さん
さらに、中学校・高校の保健体育教員免許を保持し、軟式野球の日本代表にも選出されるなど、その経歴は異彩を放っています。
なぜ彼は、安定した番組制作会社の内定を捨ててまで、修羅の道である芸人を選んだのか。
そして、右肘の靭帯損傷という絶望的な怪我から、いかにしてラクロスで「学生日本一」へと昇り詰めたのか。
膨大なインタビュー記録と一次資料から、おばたのお兄さんの「不屈の軌跡」をリサーチャーの視点で深掘りします。
この記事を読むとわかること
- 魚沼の神童と呼ばれた小学校時代から高校野球主将までのスポーツ歴
- 右肘の靭帯損傷という挫折を乗り越え、日体大ラクロス部で日本一を掴むまで
- 番組制作会社の内定を辞退し、八百屋で100万円を貯めて芸人を目指した執念
- 小栗旬モノマネを「最短で売れる手段」として戦略的に選択したインテリな思考
おばたのお兄さんが卒業した小学校
おばたのお兄さんは、1988年6月5日、新潟県魚沼市(旧北魚沼郡小出町)に誕生しました。
出身校は、魚沼市立小出小学校です。

4人兄妹の末っ子として育った彼は、幼い頃から典型的な目立ちたがり屋でした。
学級委員長が何かも理解していない段階で、とりあえず立候補するような性格だったと語っています。
小学校時代のエピソード:4つの競技を掛け持ちした「神童」
彼の驚異的な身体能力の土台は、この小学校時代に形成されました。
野球、剣道、アルペンスキー、水泳の4種目を同時にこなすという、超人的な日々を送っていたのです。
特に剣道では全国大会に出場し、アルペンスキーでは新潟県の強化指定選手に選ばれるほどの実力でした。

写真はイメージです
しかし、スキーの遠征費が年間150万円もかかるという家庭の経済的事情を考慮し、断念せざるを得なかったという切ない過去もあります。
中学2年生の時に父親を亡くし、母子家庭として育った背景が、彼の「絶対に成功して家族を支える」という強い意志の源泉となっているのでしょう。
おばたのお兄さんが卒業した中学校
中学校は、地元の魚沼市立小出中学校へ進学しました。

中学からは、憧れの松井秀喜さんに近づくため、野球一本に絞って活動を開始します。
中学校時代のエピソード:ショートストップとしての頭角
ポジションは内野の要であるショートストップを務めました。
この頃、野球の練習の傍らでバク転の練習を一人で続けており、地元では「天狗の仕業ではないか」と噂になったというユーモラスな逸話も残っています。
まさに、現在の「アスリート芸人」としての片鱗が既に見え隠れしていました。
おばたのお兄さんが卒業した高校
高校は、新潟県立小出高等学校へ進学しました。

俳優の渡辺謙さんも同校の卒業生であり、おばたのお兄さんにとっては偉大な大先輩にあたります。
高校時代のエピソード:主将としての責任と「右肘の悲劇」
高校でも硬式野球部に所属し、キャプテンとしてチームを牽引しました。
しかし、3年生の秋、運命を狂わせる出来事が起こります。
地域のおじさん達との草野球に参加した際、接触転倒により右肘の靭帯を損傷してしまったのです。
「100%の力でボールを投げられない」という、野球選手として致命的な宣告を受け、プロへの夢は絶たれました。
しかし、彼はそこで腐ることはありませんでした。
日体大の入試科目であるマット運動などの実技試験に間に合わせるため、手術を回避し、リハビリで乗り切るという執念を見せたのです。
おばたのお兄さんが卒業した大学
おばたのお兄さんは、第一志望であった日本体育大学体育学部へ進学しました。

「サークルではなく部活動で頂点を目指す」という硬派な信念を持ち、門をくぐります。
大学時代のエピソード:ラクロスで掴んだ「学生日本一」と、内定辞退のドラマ
右肘の怪我により野球を断念した彼は、大学から始めても頂点を目指せるスポーツとして「ラクロス」を選択しました。
ポジションはG(ゴーリー)。
持ち前の反射神経と体幹を武器に、1年生にして学生日本一のメンバー入りを果たしました。
しかし、就職活動の時期には大きな葛藤がありました。
女手一つで育ててくれた母親を安心させるため、一度は番組制作会社の内定を勝ち取ります。
それでも「表舞台に立ちたい」という夢を捨てきれず、卒業直前の3月に内定を辞退しました。
母に猛反対されながらも、「金銭援助は一切受けない」と約束し、八百屋のアルバイト等で100万円を貯金。
その通帳を母に見せることで、ようやく芸人の道への切符を手にしたのです。
大学時代の同級生には、体操の内村航平選手がいたことも有名なエピソードです。
おばたのお兄さんが芸能界入りしてブレイクするまで
大学卒業後、一度は手にした番組制作会社の内定を辞退し、お笑いの道へ進むことを決意したおばたのお兄さん。
背水の陣で挑んだ彼は、24歳で吉本総合芸能学院(NSC)東京18期生として入学しました。
そこで出会った池田直人(現・レインボー)とコンビ「ひので」を結成し、わずか1年目で劇場のトップ層に駆け上がるなど、順風満帆なスタートを切ったかに見えました。
しかし、2016年1月にコンビを解散し、ピン芸人としての活動を余儀なくされます。
ひのでの最後の単独「めでたいやつら」観て来ました!
ひのでとは神保町でもよくタッグ組んで一緒にやってたので寂しいですが本当に良いコンビだったと思います!!お疲れ様!! pic.twitter.com/eVXu7RX54E— ムラジュン (@tenori_murajun) January 16, 2016
「おばたのお兄さん」命名の裏側と戦略的モノマネ
ピン芸人として再出発する際、新しい芸名を決める場となったのは、先輩であるジャングルポケット太田博久さんの自宅での食事会でした。
そこで太田さんの妻・近藤千尋さんが「体操のお兄さんっぽい」という理由から「おばたのお兄さん」を提案し、満場一致で採用されたのです。
名前が決まると、彼は最短で世に出るための戦略を練り始めました。
「モノマネ」「リズムネタ」「セグウェイ」という3つの武器に絞り、その中から大好きな小栗旬さんのモノマネを極める道を選びます。
2017年1月6日、水面に隕石が落ちたような衝撃
運命の日は、2017年1月6日に放送された『爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル』でした。
当時世界的に流行していたピコ太郎の「PPAP」に小栗旬さんの要素を掛け合わせ、「ポイッ!まーきのっ!」と放った瞬間、彼自身が「売れる音がした」と振り返るほどの大爆笑をさらいました。
放送後、SNSで動画が爆発的に拡散され、わずか1週間でTwitterのフォロワーが10倍になるという、まさに「切り抜き動画で売れた先駆け」としてのブレイクを果たしたのです。
この記事のまとめ
- 小学校から高校まで野球に情熱を注ぎ、主将としてチームをまとめるリーダーシップを磨いた。
- 右肘の靭帯損傷という挫折から、日体大でラクロス部へ転向し「学生日本一」を勝ち取った。
- 安定した内定を捨て、八百屋で100万円を貯めて芸人になるという、母との約束を果たした。
- 「おばたのお兄さん」の名付け親は近藤千尋さんであり、戦略的なモノマネ選択がブレイクを呼んだ。
- アスリートとしての基盤が、今のキレキレなモノマネや身体能力系の仕事の源泉となっている。
おばたのお兄さんの学歴に関するよくある質問
おわりに
おばたのお兄さんの物語は、単なる「運の良いブレイク」ではありませんでした。
新潟での厳しい自然の中で培われた根性、右肘の負傷を乗り越えたラクロスでの栄光、そして母との約束を守り抜いた覚悟。
それらすべてが一本の線で繋がり、今の「アスリート芸人」としての唯一無二のポジションを作っています。
学歴とは、単にどこの学校を出たかという記録ではなく、その場所で何を学び、どう逆境を跳ね返したかの証です。
おばたのお兄さんが証明した「文武両道の精神」は、これからも多くの人々に勇気と笑いを与え続けることでしょう。
小栗旬さんという大きな存在にリスペクトを払いながら、自分自身の道を切り拓き続ける彼から、今後も目が離せません。
おばたのお兄さん プロフィール
| 本名 | 小幡 和貴(おばた かずき) |
|---|---|
| 生年月日 | 1988年6月5日 |
| 出身地 | 新潟県魚沼市 |
| 身長 / 体重 | 166cm / 60kg |
| 血液型 | B型 |
| 所属 | 吉本興業(NSC東京18期生) |
| 保有資格・免許 | ・中学校教諭一種免許状(保健体育) |
・高等学校教諭一種免許状(保健体育)
・スキー検定1級
・スノーボードインストラクター
・キッズコーディネーショントレーニング(NESTA)
・メンタルトレーニングスペシャリスト
・スポーツフードスペシャリスト趣味カラオケ、温泉、サウナ、草野球特技スキー、野球、アクロバット、書道、料理(貧乏創作料理)主な活動・役職・吉本坂46 メンバー
・魚沼特使(2017年〜)
・ラクロス応援団長(2020年〜)
・オイシックス新潟アルビレックスBC アンバサダー(2026年〜)
・草野球チーム「GATTIN」監督兼選手
■ 【情報ソース一覧】
本記事およびプロフィールの作成にあたり、以下の信頼性の高い一次情報を参照いたしました。
1. 吉本興業株式会社 公式プロフィール
https://profile.yoshimoto.co.jp/talent/detail?id=4972
(基本プロフィール、保有資格、芸人としての略歴を網羅)
2. 朝日新聞社 4years.「ラクロス応援団長・おばたのお兄さんコラム」
https://4years.asahi.com/article/14324393
(日体大時代のラクロス部での活動実績、右肘の負傷、学生日本一のエピソードの詳細)
3. 北九州マラソン2026 公式サイト(大会ゲスト紹介)
https://kitakyushu-marathon.jp/
(2026年時点のスポーツ実績:野球、剣道、スキーの入賞歴、1500m走タイム等の最新データ)
4. スポーツナビ「【オイシックス新潟】2026アンバサダー発表」
https://sports.yahoo.co.jp/official/detail/2026020300055-spnaviow
(2026年現在のアンバサダー就任状況、地元新潟への貢献活動の最新情報)
5. おばたのお兄さん オフィシャルブログ「おばたのブログさん」
(2025年〜2026年にかけての私生活、美容外科手術(クマ取り)の公表、育児と運動の両立に関する本人発信)
6. Alpen Group インタビュー:おばたのお兄さんがスポーツと真剣に向き合う理由
https://store.alpen-group.jp/Page/Feature/other_190530_01.aspx
(幼少期の遠征費、50m走タイム、OBATAクリニックの指導方針に関する詳細)
7. YouTubeチャンネル「街録ch〜あなたの人生、教えて下さい〜」
https://www.youtube.com/watch?v=kYI_UoT65uM
(父親との死別、母子家庭での育ち、NSC入学前の貯金生活、内定辞退の葛藤などのライフストーリー)


コメント