オリラジ藤森慎吾さんの小学校から大学までの学歴(偏差値)と芸能界での経歴

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🎓 |学歴サマリー

小学校 諏訪市立高島小学校
中学校 香港日本人学校 中学部
高校 駿台甲府高等学校(偏差値:61)
大学 明治大学 政治経済学部

オリエンタルラジオの藤森慎吾さんといえば、「武勇伝」で一世を風靡した後、
“チャラ男”という唯一無二のキャラクターで再ブレイクを果たした芸人として知られています。

近年では、RADIO FISHとして紅白歌合戦に出場するなど、
「芸人」という枠を超えたマルチな活動も印象的です。

では、そんな藤森慎吾さんは、どのような環境で育ち、どのような学歴を歩んできたのでしょうか。
実はその背景には、地方都市でのびのびと育った幼少期、
そして海外での生活を経験した帰国子女時代という、
現在のキャラクターにつながる重要な要素が詰まっています。

この記事では、藤森慎吾さんの小学校から大学までの学歴(偏差値)を時系列で整理しながら、
学生時代のエピソードと芸能界での経歴をあわせて、丁寧に紐解いていきます。

この記事を読むとわかること

  • 藤森慎吾さんの正確な学歴(小学校〜大学)
  • 諏訪で育った幼少期と家庭環境
  • 小学生時代に見せていた意外な一面
  • 後の芸風につながる原点
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藤森慎吾さんが卒業した小学校|諏訪市立高島小学校

藤森慎吾さんの出身小学校は、長野県諏訪市立高島小学校です。

藤森さんは1983年3月17日、長野県諏訪市に生まれました。
諏訪湖をはじめ、自然に恵まれたこの地域で過ごした幼少期は、
後の人懐っこさや行動力の土台になったと考えられます。

家族構成は、両親・兄・姉の5人家族。
父親は精密機器メーカーセイコーエプソンに勤務しており、
教育や経験を大切にする家庭環境だったことがうかがえます。

実際に、藤森さんは小学生の頃から習字・そろばん・木遣りといった伝統的な習い事に加え、
スピードスケートなど身体能力を活かす活動にも取り組んでいました。

小学校時代のエピソード|成績トップで生徒会長

学業成績は常にトップクラス。
クラスや学年の中心的存在で、生徒会長に選ばれた経験もあります。

また、父親が監督を務めていたリトルリーグではキャプテンを担当。
人前に立ち、周囲をまとめる役割を自然と担っていたことがわかります。

一方で、自然児としての一面も強く、
イナゴを大量に捕まえて祖母の家に持っていき、
佃煮にしてもらって食べていたというエピソードは有名です。

また、父親が仲間と採ってきたハチの巣からハチの子(幼虫)を食べていたという話もあり、
都会育ちの芸人にはない原体験が、
現在のトークの引き出しにつながっているとも言えるでしょう。

藤森慎吾さんは6歳の1989年(平成元年)4月に小学校へ入学し、
12歳の1995年(平成7年)3月に卒業しています。

藤森慎吾さんが卒業した中学校|香港日本人学校 中学部

藤森慎吾さんの中学校は、香港日本人学校 中学部です。

藤森さんは父親の仕事の都合により、中学時代の約3年間を香港で過ごしています
地方都市・長野県諏訪市から、当時まだイギリス統治下にあった国際都市・香港へ。
この環境の激変は、思春期の藤森さんに大きな影響を与えました。

通っていた香港日本人学校は、海外に設置された日本人学校の中でも規模が大きく、
日本全国から集まった生徒たちが在籍していました。

長野の自然の中で育った藤森さんにとって、
高層ビルが立ち並び、英語と広東語が飛び交う香港の街は、
まさに「別世界」だったといいます。



「長野県に住んでいて、すごく田舎だった。
大都会に足を踏み入れた気分。
見るもの、触れるもの全てが新しくて、ワクワクしていたのを覚えています」


(ORICON NEWS 2019年1月29日)

中学校時代のエピソード①|帰国子女として身についた英語力

香港では、学校の外に出れば英語が日常。
買い物、交通機関、街中の会話——
「英語を使わないと生活できない環境」に身を置いたことで、
藤森さんは自然と英会話力を身につけていきました。

この経験は、帰国後だけでなく、
芸能界入りしてからも海外ロケや外国人ゲストとの共演などで活かされています。

現在の「軽やかで壁を作らないコミュニケーション能力」は、
この頃に培われた異文化適応力が大きく影響していると考えられます。

中学校時代のエピソード②|実は“純情派”だった藤森慎吾

今でこそ「チャラ男」の代名詞とも言える藤森慎吾さんですが、
中学生時代はそのイメージとは正反対。
かなりの純情派だったことが知られています。

日本人学校で好きになったのは、
東京出身で都会的な雰囲気を持つ女生徒。

勇気を振り絞ってデートに誘い、
ようやく実現したものの、後日その彼女から
「めちゃめちゃつまらないデートだった」
と言われてしまったことを、藤森さん自身が語っています。

さらに追い打ちをかけるように、
その女生徒が自分の友人と付き合うことになったと聞き、
大きなショックを受けたそうです。

この経験は、後年のインタビューなどでもたびたび語られており、
「チャラ男」というキャラクターは、
最初から備わっていたものではないことがよくわかります。

中学校時代のエピソード③|音楽との出会いと“黒歴史”バンド

中学3年生の頃、藤森さんは香港にいながら
日本のヴィジュアル系ロックバンド・GLAYに強く憧れるようになります。

その影響で結成したのが、
Mr.Childrenのパロディバンド
「Miss オヤジ」

しかし、メンバー4人中3人がギター担当、
残る1人はタンバリンのみという、
今振り返ればかなり無謀な構成だったため、
バンドはすぐに解散してしまいます。

この経験は一見すると“黒歴史”ですが、
後のRADIO FISHとしての音楽活動を考えると、
この頃からすでに「表現欲」は芽生えていたとも言えるでしょう。

中学校時代の同級生|NHKアナウンサーも在籍

なお、香港日本人学校時代の同級生には、
NHKアナウンサー・佐藤俊吉さんがいます。

多様なバックグラウンドを持つ同級生に囲まれていたことも、
藤森さんの価値観の幅を広げる一因になったと考えられます。

地方・海外・都会的感覚。
この3つを同時に体験した中学時代こそが、
藤森慎吾さんの人格形成の重要な分岐点でした。

藤森慎吾さんは12歳の1995年(平成7年)4月に中学校へ入学し、
15歳の1998年(平成10年)3月に卒業しています。

藤森慎吾さんが卒業した高校|駿台甲府高等学校(偏差値61)

藤森慎吾さんの出身高校は、駿台甲府高等学校です。

駿台甲府高校は山梨県甲府市にある私立進学校で、
偏差値はおおよそ61前後とされています。


偏差値61とは、集団の中で上位約13〜14%に位置する学力層。
クラス40人で例えると、常に5〜6番以内に入る生徒が集まる水準です。

注目すべきは、藤森さんが長野県諏訪市在住でありながら、山梨県の高校に進学している点です。

通学時間は片道およそ1時間半
決して楽な通学条件ではありませんが、
それでも駿台甲府を選んだ背景には、
大学進学を見据えた現実的な選択があったと考えられます。

高校時代のエピソード①|部活を渡り歩いた「模索の時期」

高校時代の藤森慎吾さんは、ひとつの部活に打ち込むというより、
さまざまな部活動を経験しています。

所属していたのは、
サッカー部・ラグビー部・写真部・ワンダーフォーゲル部など。

一見すると「落ち着きがない」とも取られかねませんが、
見方を変えればこの時期は、
自分に何が向いているのかを必死に探していた時間とも言えます。

小学生時代は生徒会長、中学時代は海外生活。
常に環境の変化の中で生きてきた藤森さんにとって、
高校時代は初めて「自分自身と向き合うフェーズ」だったのかもしれません。

高校時代のエピソード②|ヤンキー漫画とバイクへの憧れ

この頃の藤森さんが影響を受けていたのが、
ヤンキー漫画『特攻の拓』

作中キャラクターの鮎川真里に強い憧れを抱き、
バイク雑誌を読み漁る日々を送っていたそうです。

愛車はヤマハ・TW200
当時の若者文化を象徴するバイクで、
「強さ」や「自由」への憧れが色濃く表れていました。

この時期の藤森さんは、
勉強ができる優等生でありながら、
同時にアウトロー的な世界観にも惹かれていたという、
非常にアンバランスな状態にあったと言えるでしょう。

高校時代のエピソード③|木村拓哉に憧れ、美容師を目指す

高校3年生の頃、藤森さんは
テレビドラマ『ビューティフルライフ』に強い影響を受けます。

木村拓哉さんが演じた美容師役に憧れ、
一時は美容師になることを本気で考えていたそうです。

このエピソードからもわかるように、
藤森さんは感受性が非常に強く、影響を受けやすい性格

しかしこの「影響されやすさ」こそが、
後に芸人として多様なキャラクターを取り込む力、
すなわち引き出しの多さにつながっていきます。

高校時代は、将来の明確な目標が定まらず、
進路・価値観・自己像の間で揺れ動く日々でした。

ですが結果的にこの迷走期が、
「一つの型に収まらない藤森慎吾」という人物像を形作る、
重要な準備期間になっていたのです。

藤森慎吾さんは15歳の1998年(平成10年)4月に高校へ入学し、
18歳の2001年(平成13年)3月に卒業しています。

藤森慎吾さんが卒業した大学|明治大学 政治経済学部

藤森慎吾さんは高校卒業後、明治大学 政治経済学部へ進学しています。

学部は政治経済学部で、学科については
「経済学科」と表記されることが多い一方、
一部媒体では政治学科表記も見られます。

ただし、複数のプロフィール・大学系企画記事では
政治経済学部在籍で一致しており、
本記事では公式寄りの情報に基づき
「明治大学 政治経済学部」と整理しています。

当時の偏差値はおよそ62〜63前後
難関私立大学の中でも、
安定した学力が求められる学部です。

大学時代の生活|上京、一人暮らし、そして“自由”

大学進学を機に、藤森さんは上京。
京王線沿線・桜上水で一人暮らしを始めます。

サークル活動は非常に幅広く、
テニス、サッカー、スケートボード、サーフィンなど、
とにかく「楽しそうなものには手を出す」大学生活でした。

また、変わり種として
シャ乱Qのコピーバンド
DJ活動にも挑戦しています。

特にテニスサークルでは、
テニスそのものよりも飲み会がメインだったそうで、
この頃から徐々に、
現在につながる“軽妙な立ち振る舞い”が芽生えていきます。


学業自体は比較的真面目に取り組んでいた一方で、
この頃から「チャラ男的要素」が少しずつ表に出始めた時期でもありました。

芸人を志したきっかけ|中田敦彦との運命的な出会い

藤森慎吾さんが芸人を目指す直接のきっかけは、
大学3年生のときのアルバイトです。

自動車事故関連のバイト先で出会ったのが、
後の相方となる中田敦彦さんでした。

当時の藤森さんは、
バラエティ番組を見ることはあっても、
お笑いに強い関心があったわけではありません

しかしある日、
中田さんが披露する漫才のビデオを目にし、
その完成度と熱量に強い衝撃を受けます。

「この人と一緒にやりたい」
そう直感した藤森さんは、
中田さんにコンビ結成を持ちかけます

ところが、この誘いは
1度目・2度目ともに断られてしまいます

それでも諦めなかった藤森さんは、
3度目の挑戦でようやく中田さんの承諾を得ることに成功。

こうして2003年8月1日
オリエンタルラジオが正式に結成されました。

NSC入学とM-1準決勝進出|一気に注目を浴びた学生芸人時代

コンビ結成の翌年、
藤森さんは大学4年生でありながら、
吉本総合芸能学院(NSC)東京校10期生として入学します。

同期には、
はんにゃ、フルーツポンチ、トレンディエンジェルなど、
後にブレイクする芸人たちが名を連ねています。

そして同年、
M-1グランプリに初出場。



リズムネタ「武勇伝」で、
いきなり準決勝進出という快挙を達成し、
若手芸人の中で一躍注目の存在となります。

この成功により、
藤森慎吾さんは
「明治大学卒の学生芸人」という枠を超え、
一気にプロの世界へ足を踏み入れることになりました

2005年3月、
明治大学政治経済学部を卒業。

その後は学業ではなく、
芸人として生きる道を完全に選択します。

藤森慎吾さんは18歳の2001年(平成13年)4月に大学へ入学し、
22歳の2005年(平成17年)3月に卒業しています。

藤森慎吾さんの経歴|武勇伝ブレイクから“チャラ男”再生まで

2005年、明治大学を卒業後、
藤森慎吾さんはオリエンタルラジオとして本格的に芸人活動を開始します。

リズムネタ「武勇伝」は瞬く間に人気を集め、
2006〜2007年頃にはゴールデン番組のMCを任されるなど、
若手芸人のトップランナーとして注目されました。

しかし、その勢いは長く続きません。

「武勇伝」という強烈なフォーマットは、
一方で消費が早いという弱点も抱えていました。

次第に仕事は減少。
かつてのブレイクが嘘のように、
露出は目に見えて少なくなっていきます。

この低迷期、藤森さんは
六本木を中心に夜の街で遊び歩く生活を送っていました。

結果的にこの時期の経験が、
後に「チャラ男キャラ」のリアリティを支える
重要な素材になっていきます。

転機となった人物|タモリの一言

人気低迷期に、
藤森さんにとって唯一のレギュラー番組となったのが
フジテレビ系『笑っていいとも!』でした。

藤森さんは
「こんなすごい人と毎週会える機会はない」
と考え、司会のタモリさん
毎週必ず話しかけることを自分に課します。

天気、電車、何気ない世間話。
とにかく会話を重ねた結果、
タモリさんからこんな言葉をかけられます。



「毎週話しかけてくれるけど、中身ないよな。
ペラッペラだよ。ペラ男だよ」

一見すると厳しい言葉ですが、
続けてタモリさんはこう助言します。



「それ、面白いんだから、もっと出していけよ」

この言葉をきっかけに、
藤森さんは「中身がない軽さ」
欠点ではなく武器として押し出す決意をします。

こうして誕生したのが、
現在まで続くチャラ男キャラクターでした。

「君、かわうぃーね」「アゲぽよ〜」といった
独特の言い回しは話題を呼び、
藤森慎吾さんは見事に再ブレイクを果たします。

2011年には
ユーキャン新語・流行語大賞に
「君、きゃわゆいネェ」がノミネートされるなど、
再び時代の空気を掴みました。

藤森慎吾さんの経歴|音楽活動とRADIO FISH

再ブレイク後、
藤森慎吾さんは新たな表現の場として
音楽活動にも本格的に挑戦します。

2014年に結成されたのが、
ダンス&ボーカルユニットRADIO FISH

メンバーは、
オリエンタルラジオの2人(NAKATA・SHINGO)に加え、
中田敦彦さんの実弟FISHBOY
ダンサーのShow-hey、SHiN、RIHITO。

2016年、
楽曲「PERFECT HUMAN」が大ヒット。

社会現象とも言える反響を呼び、
RADIO FISHは第67回NHK紅白歌合戦への
初出場という快挙を成し遂げます。

藤森さんの担当はラップ。
中学時代の音楽体験や、
大学時代のバンド・DJ経験が、
ここで見事に結実した形です。

2025年には
デビュー20周年、
RADIO FISH結成10周年を迎える節目として、
日本武道館でのワンマンライブ構想も語られています。

この記事のまとめ

  • 藤森慎吾さんは長野県諏訪市出身
  • 小学校は高島小学校、中学は香港日本人学校
  • 高校は駿台甲府、大学は明治大学政治経済学部
  • 大学時代の出会いが芸人人生の転機
  • 武勇伝→低迷→チャラ男で再ブレイク
  • RADIO FISHとして紅白出場を果たした

藤森慎吾さんの学歴に関するよくある質問

Q1. 藤森慎吾さんの最終学歴は?
A. 明治大学 政治経済学部卒業です。
Q2. 藤森慎吾さんは帰国子女ですか?
A. 中学時代に香港で生活しており、帰国子女です。
Q3. 芸人を目指したきっかけは?
A. 大学時代に中田敦彦さんと出会ったことがきっかけです。
Q4. 現在も音楽活動はしていますか?
A. RADIO FISHとして継続的に活動しています。

おわりに

藤森慎吾さんの学歴と経歴を振り返ると、
そこにあるのは一直線の成功ではありません。

迷い、失敗し、評価を失いながらも、
その都度自分を更新し続けてきた軌跡です。

学歴は肩書ではなく、
人生の選択が刻まれた地図。

この先も、
藤森慎吾さんがどんな表現を見せてくれるのか、
注目していきたいところです。

藤森慎吾さん プロフィール

  • 生年月日:1983年3月17日
  • 出身地:長野県諏訪市
  • コンビ名:オリエンタルラジオ
  • 相方:中田敦彦
  • 最終学歴:明治大学 政治経済学部
  • 活動開始:2003年〜
  • 主な活動:芸人・歌手(RADIO FISH)

情報ソース・参考資料

※ 本記事は、公式プロフィール・大学公式情報・主要メディア報道をもとに構成しています。

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