俳優・シンガーソングライターとして活躍し、数々のドラマや映画で印象的な演技を見せる宮世琉弥さん。
本記事では、彼の学歴、芸能界入りのきっかけから現在までの軌跡を深く掘り下げていきます。
この記事を読むとわかること
- 宮世琉弥さんの出身小学校・中学校・高校に関するより詳細な情報
- 各学校時代の具体的なエピソードや人柄
- 東日本大震災の被災体験と芸能界を目指した真のきっかけ
- 大学に進学しなかった理由と、その後の俳優活動への集中
- M!LKでのアイドル活動から俳優、シンガーソングライターとしての多岐にわたる活動
宮世琉弥の学歴と芸能界での経歴・小学校
宮世琉弥さんの出身小学校は、東松島市立浜市小学校です。
しかし現在、この小学校は過疎化による児童数の減少と、施設の老朽化等により閉校となっています。
小学校時代のエピソード
2004年1月22日、宮城県石巻市で生まれた宮世琉弥さん。
家族構成は両親と妹の4人家族となっています。(よくハーフと間違われますが純粋な日本人です)
宮世さんの小学校時代は、東日本大震災という大きな試練から始まりました。
小学1年生の時に東日本大震災で被災し、津波によって自宅は流されてしまったのです。
被災後は、隣接した小野小学校の3階を間借りして授業を受けていた宮世さん。
小学3年生の時には、浜市小学校と小野小学校が統合され、鳴瀬桜華小学校という名前に変わりました。
そんな困難な状況でも、小学生の頃は楽天ジュニアに所属して野球をしていたそう。
運動も得意だったんですね。
また、クラスごとに店を出すイベントで、スライムを作るコーナーを担当したことを楽しい思い出として語っています。
そして宮世さんの人生を大きく変える出会いが訪れます。
小学5年生の時、東日本大震災の復興イベントで(ももいろクローバーZのパフォーマンスを見て)大きな感動を受けた直後。
会場のショッピングモールでスターダストプロモーションからスカウトを受けます。
当時はまさか芸能界に入るとは思っていなかった宮世さんでしたが、ももクロと同じ事務所ということもあり、芸能界への第一歩を踏み出すことに。
スターダストプロモーションの仙台営業所に所属し、EBiDANの研究生としてEBiDAN SENDAIで活動を開始します。
研究生の選抜プロジェクトであるBATTLE BOYS1st全国選抜に選ばれるなど、早くからその才能を発揮していたんですね。
宮世琉弥の学歴と芸能界での経歴・中学校
宮世さんの出身中学校は、東松島市立矢本第一中学校です。
中学校時代のエピソード
中学時代は、芸能活動のため東京と宮城を行き来する生活を送っていました。
そのため部活動への参加は時々程度だったようですが、運動神経は悪くないと自負しており、体育が得意科目だったそうです。
バスケットボールも得意だったようで、後のドラマ出演時にその経験が活かされることもありました。
校則が厳しかったそうで、自身も周りの友達もみんな制服をきっちり着用していたとか。
入学時には少し大きめの制服を購入したものの、成長が早く卒業間近にはズボンが短くなってしまったというエピソードも。
そして、中学3年生だった2018年に、運命的な出来事が起こります。
2018年8月28日、ボーイズグループ「M!LK」に新メンバーとして加入することになったのです。
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当初は「琉弥」の名前で活動していましたが、芸能活動が本格化したことで学校生活にも変化が。
そのため以降は仕事で学校にはあまり行けておらず、練習に参加していないままで卒業式を迎えたため、恥ずかしい思いをしたそうです。
「何を歌うのかも、どのタイミングでお辞儀をするのかもわからないまま式に出たら、全然違うタイミングで僕だけ歌っちゃって、ひとり目立ったっていう(笑)。しかもそれをお母さんが動画で撮っていて…」
と語っており、芸能活動と学業の両立の大変さが伺えますね。
宮世琉弥の学歴と芸能界での経歴・高校
宮世琉弥さんは中学校卒業後、東京の私立高校に進学しています。
出身高校は現在のところ公表されておらず、特定されていません。
ただし、多くの芸能人が通う堀越高校や目黒日本大学高校(旧日出高校)に進学した可能性が高いと推測されています。
これらの高校は芸能活動との両立がしやすいコースがあることで知られています。
高校時代のエピソード
高校時代の宮世さんは、M!LKのメンバーとして音楽活動を続けながら、俳優業にも本格的に取り組み始めます。
2019年2月14日には、出身地である宮城から世界へ羽ばたけるようにという願いを込めて「宮世」という苗字をファンからの公募で決定。
同日、公式Instagramが開設され、個人での活動も本格化しました。
2019年にはドラマ「パーフェクトワールド」で俳優デビューを果たし、演技の才能も開花させていきます。
高校在学中には「恋する母たち」(2020年)にも出演し、俳優としての存在感を高めていきました。
しかし2020年1月31日、俳優業に専念するためM!LKを卒業することを発表。
アイドル活動から俳優一本へとキャリアチェンジを図る重要な決断をしたのです。
高校時代は「芸能活動と学業の両立に全力で取り組んだ3年間」だったといえるでしょう。
大学には進学していません
宮世琉弥さんは、大学には進学していません。
高校卒業後は、俳優業に専念する道を選びました。
大学に進学しない選択について
大学に進学しなかった理由について、明確な発言は見当たりません。
しかし、高校在学中からM!LK卒業後の俳優業一本での活動を決意しており、芸能活動に集中することが大きな理由と考えられます。
高校卒業後の2022年からは俳優一本の生活を開始し、数多くのドラマや映画に出演。
「村井の恋」「闇金ウシジマくん外伝 闇金サイハラさん」(ともに2022年)などで演技力を磨き続けています。
2022年放送の「君の花になる」では高橋文哉らとともに劇中のボーイズグループ「8LOOM」のメンバーとして実際にデビューも果たしました。
その後も「パリピ孔明」(2023年)、「くるり 誰が私と恋をした?」(2024年)やNetflixシリーズなど、話題作に次々と出演し、若手俳優として確固たる地位を築いています。
この記事のまとめ
- 宮世琉弥さんは宮城県石巻市出身で、東日本大震災を小学1年生で経験し、地元の小中学校を卒業後、東京の高校に進学した。
- 小学5年生の時に復興イベントでももクロに感銘を受け、その直後にスカウトされて芸能界入りした。
- 中学3年生の時にM!LKに加入し、アイドル活動を経験した後、俳優業に専念するため高校2年生でグループを卒業した。
- 大学へは進学せず、高校卒業後は俳優・シンガーソングライター業に専念している。
- 震災体験という困難を乗り越え、一度決めた夢に向かって努力を続ける真面目な人柄が、現在の彼の輝きを支えている。
- その活躍は映画、ドラマ、音楽と多方面にわたり、今後もさらなる飛躍が期待される。

おわりに
東日本大震災という大きな試練を小学生で経験し、その後の復興イベントで芸能界への憧れを抱いた宮世琉弥さん。
スカウトから始まった芸能活動は、アイドルから俳優へと形を変えながらも、常に真摯に取り組み続けてきました。
学業と芸能活動の両立という困難を乗り越え、今や若手俳優として多くの作品で印象的な演技を見せています。
震災体験という重い過去を持ちながらも、前向きに夢に向かって歩み続ける彼の姿は多くの人に希望を与えているはず。
彼のこれからの更なる飛躍から、ますます目が離せません。
プロフィール | |
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愛称 |
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生年月日 | 2004年1月22日 |
出身地 | 🇯🇵 日本・宮城県石巻市 |
血液型 | A型 |
身長 | 178 cm |
活動 | |
デビュー | 2018年(M!LK加入) |
ジャンル | 俳優・シンガーソングライター |
元所属グループ | M!LK(2018年-2020年) |
他の活動 | 俳優、シンガーソングライター、モデル |
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