岩井勇気 学歴 芸人らしくない 進学校。
実は、ハライチの岩井勇気さんが通っていた高校は、偏差値61の伊奈学園総合高校。
しかも、美術を専攻しながら体育委員長、ダンスサークルでも活躍という“文武両道”な青春を送っていました。
「毒舌キャラ」や「腐り芸」で知られる現在の姿からは想像しにくいですが、当時は全校生徒から人気第3位という“モテエピソード”まで。
この記事では、そんな岩井勇気さんの意外すぎる学歴や学生時代のエピソードを、幼少期〜高校時代までたっぷり紹介!
なぜ進学校から芸人を目指したのか、そのきっかけや背景も深掘りしていきます。
この記事を読むとわかること
- 岩井勇気さんの出身校とその偏差値の高さ
- 高校時代にモテた理由と“意外な”学校生活
- 芸人を志すきっかけとなった大会とそのエピソード
- 小中学校時代の原点や家族との関係性
岩井勇気の出身高校は伊奈学園総合高校!偏差値61の文武両道エピソード
岩井勇気さんの出身高校は、埼玉県立伊奈学園総合高校です。
偏差値は61と高く、「芸人=学歴が低い」というイメージとは異なる、進学校出身者の一人。
高校生活では、勉学だけでなく美術やスポーツにも取り組み、“文武両道”という言葉がぴったりの岩井さん。
特に注目すべきは、彼の高校生活でのユニークな活動と“モテエピソード”。
その一つ一つのエピソードが、今の「ちょっとひねくれた知性派芸人・岩井勇気」へとつながっているようにも感じられます。
偏差値61の進学校「伊奈学園」とは?
伊奈学園総合高校は、埼玉県にある県立の大規模高校です。
繰り返しますが、偏差値は61で、100人中上位13〜14番目の成績を誇る生徒が集まる進学校。
また、「総合選択制」を採用しており、専門分野を選択しながら自分の進路に合わせたカリキュラムを組めるのが特徴です。
この環境が、後に美術方面への関心を深める岩井さんのベースとなりました。
進学校でありながら部活動や芸術活動も盛んという点も、彼の多才さに繋がっているのだとか。
体育委員長・ブレイクダンス・美術専攻…意外な才能の宝庫
岩井さんは伊奈学園時代、体育委員長を務める一方で、美術を専攻し、さらにダンスサークルでブレイクダンスにも熱中していました。
学業・芸術・運動すべてにアクティブに取り組んでいた姿は、テレビで見るクールな印象とは真逆。
そして驚くべきは、その人気ぶり。
マンモス校である伊奈学園の中で、なんと全学年の人気投票第3位にランクイン!
本人曰く、「スポーツ刈りをやめて髪型をツンツンに変えたら、年上の先輩女子にめっちゃモテた」とのこと。彼女に毎日お弁当を作ってもらっていたというエピソードまで……これは青春すぎる!
その一方で、美大進学も真剣に考えていたという発言もあり、芸術家肌な一面が感じられる貴重な時期でもありました。
岩井勇気、高校卒業後の進路は?芸人を選んだ“美大辞退”の決断
高校卒業後の進路を考える時期は、お笑い芸人をやらなかったら美大に行こうと思ってました。絵が好きで、ずっと美術を専攻してたんですよね。
引用元: W online
美術の才能もあり、美大進学も視野に入れていた岩井さんですが、最終的に大学には進学せず、お笑いの道へ。
この章では、彼が芸人になるきっかけと、その裏にあった迷い、そして決意の背景を掘り下げていきますね。
きっかけは「お笑いメジャーリーグ」高校生の部での優勝
きっかけは高校3年生のときに出場した※『お笑いメジャーリーグ』高校生の部。
この大会でなんとグランプリを受賞し、一気にプロの世界へと駆け上がります!
しかもこの大会、優勝するとワタナベコメディスクールの学費(48万円)が全額免除される特待生制度付き!
岩井さんはその特待生として、翌年にスクールに入学しました。
ちなみに、同じ大会には同志社大学の学生だったカズレーザーさん(当時のコンビ名は「フルハウス」)も参加していたのだとか。
芸人界隈では伝説の大会だったのかもしれませんね。
※『お笑いメジャーリーグ』は、ワタナベコメディスクールが開催する新人発掘オーディションです。
美大進学を辞退し「芸人一本」へ。岩井勇気の決断とは?
美術専攻だった岩井さんは、当初は美大進学を真剣に考えていました。
本人も「お笑いじゃなかったら美大に行ってた」と語っており、絵の才能にも自信があったようです。
しかし、グランプリ受賞という結果と、学費免除という現実的なメリットが、進学よりも芸人への決断を後押ししたんですね。
「お笑いメジャーリーグでグランプリを取ったときに、“これはもう行くしかない”と思ったんです」(W onlineより)
この選択によって、岩井勇気さんは大学進学という“安全な道”を捨て、お笑いという未知の世界に挑戦する人生をスタート。
結果として、ワタナベコメディスクールへ進学し、相方・澤部佑さんと「ハライチ」を結成。
以後、数々のテレビや舞台で活躍することになります。
岩井勇気の中学・小学校時代!運動神経と“笑いの原点”が詰まった少年期
岩井勇気さんの中学・小学校時代には、現在のキャラクターからは想像できないような“アクティブで多才な少年”の姿があります。
中学では陸上部に所属し県大会へ出場、さらにフットサルでは全国3位という好成績。
一方で、小学校ではお楽しみ会で披露したコントが「笑いの原点」になっていたことも明らかになっています。
澤部佑さんとのコンビ結成の“タネ”もこの頃から芽生えていたのです。
ここでは、岩井さんの原点とも言える学生時代をたっぷり掘り下げていきます。
原市中学校での運動エピソードがすごすぎる!
岩井勇気さんが通っていたのは、埼玉県上尾市立原市中学校。
お笑いコンビ「ハライチ」の名前は、この「原市」から取ったそうです。
ちょっとエモいですね。
但し、中学時代の岩井さんは、運動神経抜群!
陸上部に所属し、県大会にも出場するほどの実力を誇っていました。
さらに、フットサルでは全国3位に輝いた経験もあるというから驚きです。
まさにスポーツ万能!
最も、当時は、スポーツ刈りにジャージ姿という見た目のせいか、女子にはモテなかったとか……。
でもご安心を。高校でしっかり覚醒してます(笑)。
原市小学校時代に「笑いの種」が芽吹いた瞬間
岩井勇気さんの出身小学校は、埼玉県上尾市立原市小学校です。
小学生の頃はサッカーに打ち込み、火曜〜金曜は練習、土日は試合というハードスケジュール!
サッカーを始めたのは、コーチを務めていたお父さんの影響だったそうです。
また、お母さんの夢を叶える形でピアノも習っていたとのこと。
スポーツと音楽、両方できる男子……なんだこのスペック。
そして注目すべきは、小学5年生の「お楽しみ会」。
ここで澤部佑さんや友達と組んで取り調べコントを披露し、ウケたことで“人を笑わせる楽しさ”に目覚めたというのです!
澤部:最初は小学校のときのお楽しみ会です。取り調べコントみたいなのを、岩井ともう1人フジワラくんっていう、いっつもピンクのジャージ着てる男の子がいたんですけど、その3人でやって。それがけっこうウケたりして、そこで人を笑わせる楽しさを覚えたんですかね。
引用元:お笑いナタリー(https://natalie.mu/owarai/pp/wcs/page/2)
これが、のちのハライチ誕生に繋がる原点エピソード。
「笑いの種まき」はこの時期に始まっていたんですね。
その後、幼なじみの澤部さんとの関係も続き、後の「ハライチ」結成につながっていくのです。
まさに芸人としての原点がここにあったと言っても過言ではありません。
おわりに
ハライチ・岩井勇気さんの学歴をたどると、そこには芸人らしくないほど真面目で多才な学生時代が広がっていました。
偏差値61の伊奈学園で美術・ダンス・体育活動に打ち込む姿、そして芸人になる決断に至った背景……。
そのどれもが、現在の“知的でちょっとひねくれたキャラ”のルーツになっているのだと感じさせられます。
また、小中学校時代の原体験や、澤部佑さんとの出会いも、今の「ハライチ」に繋がる貴重な物語。
一見クールで風変わりな芸風の裏には、努力・挑戦・モテ期(笑)など等身大の青春が隠れていました。
これからも、そのギャップと魅力で多くの人を笑わせてくれることでしょう。
♦岩井勇気(いわいゆうき)のプロフィール | |
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![]() 下記・引用元: – Wikipedia |
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ニックネーム | イワーイ |
生年月日 | 1986年7月31日 |
出身地 | 埼玉県上尾市 |
血液型 | O型 |
身長 | 171 cm |
言語 | 日本語 |
方言 | 埼玉弁 |
最終学歴 | 埼玉県立伊奈学園総合高等学校 |
出身 | ワタナベコメディスクール2期 |
コンビ名 | ハライチ |
相方 | 澤部佑 |
芸風 | 漫才 毒舌 腐り芸 |
立ち位置 | 向かってマイク左側 |
事務所 | ワタナベエンターテインメント |
活動時期 | 2006年 – |
同期 | バービー(フォーリンラブ) シソンヌ チョコレートプラネット |
現在の代表番組 | おはスタ ぽかぽか |
過去の代表番組 | 自慢したい人がいます〜拝啓 ひねくれ3様〜 まんが未知 |
作品 | 『僕の人生には事件が起きない』(エッセイ、新潮社) |
配偶者 | 奥森皐月(2023年 – ) |
公式サイト | プロフィール |
受賞歴 | |
2020年 9代目フットンダ王 |