オダギリジョーの学歴(小学校・中学・高校・大学)と偏差値及び経歴

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唯一無二の存在感で観る者を魅了し続け、俳優という枠に収まらない多彩な才能で常に我々を驚かせる表現者、オダギリジョーさん。

そのミステリアスでアンニュイな雰囲気と、役柄に深く沈み込む確かな演技力は、一体どのような学生時代や特異な経歴を経て培われたものなのでしょうか。

本記事では、彼のルーツである岡山県津山市での少年時代から、運命的な間違いが人生を大きく変えたアメリカ留学、そして日本を代表する俳優へと駆け上がった後の軌跡まで、その学歴とキャリアを深く、そして多角的に掘り下げていきます。

この記事を読むとわかること

  • オダギリジョーさんの出身小学校・中学校・高校・大学に関するより詳細な情報
  • 各学校時代の具体的なエピソードや人柄
  • 俳優を目指した意外なきっかけとデビューの裏側
  • 俳優としての輝かしい経歴と、映画監督としての一面

 

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 オダギリジョーの学歴と芸能界での経歴・出生・家族構成・幼児期

 

1976年2月16日、岡山県の北部に位置する城下町、津山市でオダギリジョーさんは生を受けました。

本名は小田切 譲(おだぎり じょう)。

しかし、彼の幼少期は決して平穏なものではなかったといいます。

物心つく前に両親が離婚し、以降は理容師として働く母親と二人、母子家庭で育つことになりました。

多忙な母親は、幼いオダギリさんを一人家に残すことを案じ、自身の職場近くにあった映画館に頻繁に預けていたそうです。

この母親の選択が、後のオダギリジョーという表現者の原点を形作ることになるのです。

幼少期のエピソード

幼い頃の彼は、非常に人見知りで、自ら積極的に人前に出るような活発な子供ではなかった模様。

そんな彼にとって、映画館の暗闇と大きなスクリーンは、まさに別世界への入り口だったのでしょう。

最初は『ドラえもん』といった子供向けのアニメーション映画に胸を躍らせていたものの、次第に意味の分からない大人向けの洋画や邦画も観るようになります。

もちろん、全ての作品を理解できたわけではなく、退屈になると館内を走り回って係員に注意されることもあったという、子供らしい可愛らしい一面も伝えられています。

しかし、言葉も意味も分からない映像の断片が、彼の無意識の中に少しずつ蓄積されていきました。

この原体験こそが、彼の中に「映画監督になりたい」という漠然とした、しかし強烈な夢を芽生えさせる大きなきっかけとなったのです。

 

オダギリジョーの学歴と芸能界での経歴・小学校

オダギリジョーさんが通った小学校は、津山市立東小学校とされています。

津山市立東小学校の外観

ただし、入学時から卒業まで在籍していたわけではなく、途中で転校してきたようです。

小学校時代のエピソード

幼少期の人見知りは続いていたものの、彼の内には人を惹きつける不思議な魅力が宿っていたのかもしれません。

特筆すべきは、この津山市立東小学校で、後のお笑いコンビ「次長課長」の河本準一さんと同じクラスになったことでしょう。

河本さんが後年語ったところによると、「クラスの人気者は、1位がオダギリ君で、僅差の2位が自分だった」とのこと。

物静かながらも、その端正な顔立ちと独特の雰囲気で、すでにクラスの中心的な存在であったことがうかがえます。

また、この頃から運動神経の良さも発揮し始め、地元のサッカーチームに所属してボールを追いかける日々を送っていました。

静と動、二つの側面を併せ持つ少年時代だったようです。

オダギリジョーさんは6歳の1982年4月に小学校に入学し、12歳の1988年3月に卒業しています。

 

オダギリジョーの学歴と芸能界での経歴・中学校

 

中学校は、地元の公立校である津山市立北陵中学校へ進学。

津山市立北陵中学校の外観

この時期に、彼の興味や情熱はさらに多岐にわたっていくことになります。

中学校時代のエピソード

小学校から続けていたサッカー部に所属し、練習に明け暮れる毎日。

部活動を通じて、チームで一つの目標に向かうことの喜びや厳しさを学んだ時期であったと想像されます。

その一方で、彼の感性を大きく揺さぶる新たな出会いがありました。

それが音楽、特にパンクロックとの出会い。

ギターを手にし、その衝動的なサウンドにのめり込んでいったそうです。

友達とカラオケボックスに集まっては、ギターをかき鳴らして弾き語りをするなど、音楽への情熱を燃やしていました。

スポーツに打ち込む爽やかさと、世の中への反骨精神を秘めたパンクロック。

この両極端ともいえるカルチャーに同時に惹かれていた点に、後の彼の多面的な魅力の萌芽が見て取れるかもしれません。

オダギリジョーさんは12歳の1988年4月に中学校に入学し、15歳の1991年3月に卒業しています。

 

オダギリジョーの学歴と芸能界での経歴・高校

 

高校は、岡山県内にある私立の岡山県作陽高等学校に進みました。

作陽学園高等学校の外観

この高校は、特にサッカーの強豪校として全国的にその名を知られています。

しかし、彼が進んだのはスポーツコースではなく、学業を主とする普通科だった模様。

高校時代のエピソード

この高校時代に、幼い頃から抱いていた「映画監督になる」という夢が、より明確で具体的な目標へと変わっていきました。

ただ漠然と憧れるだけでなく、どうすればその夢を実現できるのかを真剣に考え始めた時期。

学業にも真面目に取り組み、国立大学である高知大学の理学部に合格するほどの優秀な学力を身につけていたという事実は、あまり知られていないかもしれません。

しかし、彼はその合格を手にしながらも、進学という安定した道を選びませんでした。

彼の視線は、日本の大学ではなく、映画の本場であるアメリカに向けられていたのです。

「映画を学ぶなら、ハリウッドのあるアメリカしかない」という強い信念のもと、母親を説得し、単身での海外留学という大きな決断を下します。

オダギリジョーさんは15歳の1991年4月に高校に入学し、18歳の1994年3月に卒業しています。

 

オダギリジョーの学歴と芸能界での経歴・大学

 

高校卒業後、彼は夢を追って太平洋を渡り、アメリカのカリフォルニア州立大学フレズノ校に入学します。

カリフォルニア州立大学フレズノ校の外観

アメリカの大学システムに偏差値という概念は存在しませんが、異国の地で学ぶという挑戦そのものが、計り知れない価値を持っていたことでしょう。

大学に進学した経緯と俳優への転機

映画監督になるという一つの明確な目標を胸に、彼はアメリカの地を踏みました。

しかし、ここで彼の人生を根底から覆す、運命的としか言いようのない「間違い」が起こるのです。

大学への入学願書を記入する際、彼は映画監督コースを専攻するつもりでした。

ところが、不慣れな英語の願書で、コースを記す欄を勘違いしてしまったのです。

本来チェックすべき欄ではなく、全く意図していなかった俳優養成コースである「演劇舞踊学科(Department of Theatre and Dance)」の欄に、彼は丸をつけてしまったといいます。

その間違いに気づかないまま、彼の大学生活はスタート。

映画の撮り方を学ぶはずが、授業では「さあ、君は石だ」「ここは宇宙だから泳ぎなさい」といった、身体表現や演技のレッスンばかり。

大きな戸惑いと違和感を抱えながらも、最初の学期を過ごしたそうです。

そして、自分が進むべき道を完全に間違えてしまったことに気づいた頃、また新たな転機が訪れます。

舞台の裏方を経験する授業で、彼はステージ上でスポットライトを浴び、全身全霊で役を生きる俳優たちの姿を目の当たりにしました。

その輝き、そのエネルギーに心を奪われ、「自分もあちら側に立ってみたいかもしれない」という思いが芽生え始めたのです。

一つの勘違いから始まった偶然が、彼の心の内に「俳優」という新たな道を照らし出した瞬間でした。

最終的に彼は2年間この大学に在籍しましたが、俳優として生きることを決意し、学位を取得することなく中退して日本へ帰国します。

 

芸能界へ入る動機及びデビューのきっかけ及び経歴

そして1999年、舞台『DREAM OF PASSION』で、ついに俳優としての第一歩を踏み出します。

しかし、彼の名を世に知らしめたのは、その翌年の2000年に主演した特撮ドラマ**『仮面ライダークウガ』**でした。

当初、「リアルな芝居がしたい」と考えていた彼にとって、子供向けの特撮ヒーローを演じることには少なからず抵抗があったといいます。

しかし、番組プロデューサーから「この作品で、これまでの仮面ライダーのイメージを壊し、新しいヒーロー像を一緒に作ってほしい」という熱心な説得を受け、出演を決意。

『仮面ライダークウガ』のポスター

彼が演じた主人公・五代雄介は、どこまでも優しく、決して暴力のためではなく、人々の笑顔を守るために戦うという、非常に人間味あふれるヒーローでした。

オダギリさんの繊細な演技は、この複雑なヒーロー像に圧倒的なリアリティを与え、子供だけでなく、多くの大人の視聴者をも虜にしたのです。

この作品の成功により、彼は一躍スターダムにのし上がります。

その後は、映画『アカルイミライ』での初主演を皮切りに、鬼才・崔洋一監督の『血と骨』では、その狂気的な演技で日本アカデミー賞最優秀助演男優賞を受賞。

『血と骨』のオダギリジョーと北野武

さらに、三木聡監督とのタッグによる脱力系コメディ『時効警察』シリーズでは、コミカルな才能を開花させ、その演技の幅広さを証明。

大河ドラマ『新選組!』での斎藤一役のようなクールな役から、『カムカムエヴリバディ』での愛情深い夫役まで、ありとあらゆる役柄を変幻自在に演じ分け、名実ともに日本を代表する俳優としての地位を不動のものにしました。

そして近年、彼はついに原点回帰を果たします。

2019年、長編映画『ある船頭の話』で、脚本・監督デビューを飾ったのです。

長編映画『ある船頭の話』のポスター

俳優として培った全ての経験を注ぎ込み、幼い頃からの夢を見事に叶えました。

回り道のように見えた俳優としてのキャリアが、実は監督という夢に繋がる、最も豊かで創造的な道であったのかもしれません。

この記事のまとめ

  • オダギリジョーさんは岡山県津山市出身で、地元の小中学校を卒業後、岡山県作陽高等学校に進学した。
  • 幼少期に母親が働く映画館で過ごした経験が、映画監督を志す原点となった。
  • 映画監督を目指してアメリカの大学に留学したが、願書の記入ミスで俳優養成コースに入ってしまったことが俳優になるという運命的なきっかけだった。
  • 1999年に舞台で俳優デビューし、2000年の『仮面ライダークウガ』で主演を務め、従来のヒーロー像を覆す演技で大ブレイクした。
  • その後、数多くの映画やドラマで主演を務め、日本アカデミー賞をはじめとする数々の賞を受賞。日本を代表するカメレオン俳優としての地位を確立している。
  • 近年は俳優業にとどまらず、長年の夢であった映画監督としてもデビューを果たし、活動の幅を広げている。

おわりに

 

映画監督になるという夢の途上で起きた、一つの「間違い」。

しかし、その偶然がなければ、俳優オダギリジョーという、比類なき才能が世に出ることはなかったかもしれません。

人生は何が起こるか分からない。

彼の歩んできた道のりは、まさにその言葉を体現しているかのようです。

常に独自のスタイルを貫き、既存の枠に収まることを良しとせず、挑戦を続ける彼の姿は、これからも多くの人々を魅了し続けることでしょう。

俳優として、そして映画監督として、彼が次に我々にどんな新しい世界を見せてくれるのか。

その更なる飛躍から、ますます目が離せません。

おだぎり じょー
オダギリジョー
プロフィール
本名 小田切 譲(おだぎり じょう)
生年月日 1976年2月16日
出身地 日本・岡山県津山市
血液型 O型
身長 176 cm
活動
デビュー 1999年
ジャンル 俳優、ミュージシャン、映画監督
事務所 鈍牛倶楽部
主な出演作 テレビドラマ

『仮面ライダークウガ』

『天体観測』

『ビギナー』

『新選組!』

『時効警察』シリーズ

『カムカムエヴリバディ』


映画

『アカルイミライ』

『血と骨』

『ゆれる』

『東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜』

『舟を編む』

『ある船頭の話』(監督・脚本)

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