退廃的だけど心に響く独特の歌声を持つ椎名林檎さん。
ある種、情熱的でもありますよね。
今回はそんな ”椎名林檎の学歴(小学校・中学・高校・大学)と偏差値及び経歴”ををご紹介させて頂きますね。
椎名林檎の学歴・大学
椎名さんは大学へは進学されていません。
後述しますが、椎名さんは訳あって高校を中退しており、大学を受験する資格が無かったんですね。
高校卒業後はピザ屋や警備員のアルバイトをしながらデモテープを作る日々を送っていましたが、1996年にヤマハ音楽振興会主催の「ミュージッククエストジャパンファイナル・福岡大会」に【マーベラス・マーブル】というバンドで出場。
因みに、同じ優秀賞には「ひまわりになったら」を歌ったaikoさんもいましたが、今をときめく2人の歌姫を抑えてグランプリを獲ったのは谷口崇さん。
谷口崇さんは以前、椎名さん達と「宇宙アンテナ」というバンドを結成していた仲間で同じ福岡県人。
世間って狭いですね!
椎名さんはここで幾つかのレーベルの中から、最終的に東芝EMIと契約。
椎名林檎の学歴・高校
椎名さんの高校は福岡県立筑前高等学校です。
偏差値は62
筑前高校は、福岡県福岡市にある公立高校で共学の全日制高校。
生徒の大多数は進学を希望しその多くは福岡大学や九州産業大学、西南学院大学或いは近畿大学や国立の九州大学にも毎年合格者を輩出している進学校です。
椎名さんはこうした高校で学級委員を務めていましたが、人柄が良く、だれからも愛される性格で、とても頭が良い生徒だったそう。
部活は軽音部に所属し、いくつかのコピーバンドを掛け持ちしていましたが、次第にオリジナル曲を作るようになると学校に留まらず学外の友達ともバンドを組み、ライブハウスでも演奏をするようになって行きます。
高校1年生の時に第19回ホリプロタレントスカウトキャラバン 放課後の決選〜カラオケ・バトルロイヤルに出場。
第19回ホリプロタレントスカウトキャラバン
放課後の決選〜カラオケ・バトルロイヤル
高校1年生の椎名林檎@retoro_mode pic.twitter.com/I1H7VtDNeY— JUNK. (@tHgInDiMdNuOr) June 21, 2020
残念ながら無冠で終えましたが、椎名さん自身はこの催しがアイドルを発掘するイベントだという認識がなかったそうで、“全国大会に進むまで、水着審査があるなんて知らなかった”と地方局のラジオ番組で述懐していたとか。
高校2年生の時には、「Marvelous Marble(マーベラス・マーブル)」というバンドで※「第9回ティーンズミュージックフェスティバル」に出場、福岡地区で1位を獲得し全国大会に進出。
結果は奨励賞でしたが、「音楽活動に専念する為、自分の人生に関係のない勉強はしたくない」という理由から高校2年生の3学期が終わると同時に中退してしまいます。
1995年Teens Music Festivalにおける椎名林檎(ガールズバンドマーベラス・マーブルのVo.椎名裕美子として 16才)同じ大会でaikoは「アイツを振り向かせる方法」で出場。 pic.twitter.com/j3jNsOLAHi
— KKMMM (@KkmmmGurkha) September 10, 2016
椎名林檎の学歴・中学校
椎名さんの中学校は福岡市立百道中学校です。
椎名さんは小学校6年生の時父親の仕事の都合で、静岡から福岡に移転し同校に進学していますが、この中学校の1学年年下に女優の山口紗弥加(やまぐち さやか)さんがいたそうです。
山口紗弥加さんによると、体育祭では椎名さんが女子の応援団長を務めており、「椎名先輩が振付を考えて私たちが踊る」こともあったと後日インタビューで話していました。
また、お笑いコンビ「どりあんず」の堤 太輝(つつみ たいき)さんは中学の同級生で、ライブで共演したこともあるそう。
音楽では、友人と9人編成のバンドを結成し、学園祭でドリカムナンバーを演奏したり、自身ではモータウンやソウル・ミュージック、R&Bなどのブラック・ミュージックを好むようになったそうですが、これは現在同じシンガーソングライターの兄の影響だそう。
また、椎名さんの中学の部活は演劇部。
ある時、演劇部の顧問に演劇用の曲を書いてほしいと頼まれ、これが元で曲作りをする様になったんですね。
因みに演劇部ではドラえもんを公演した際、椎名さんの役は静香ちゃんだったとか。
椎名林檎の学歴・小学校
椎名さんの小学校は静岡市立(現:清水市立)清水有度第二小学校です。
小学生の頃の椎名さんはとっても恥ずかしがり屋。
芸名の「林檎」は同じドラマーだったリンゴ・スターの名前を借用したともいわれていますが、もともとの由来は先生から指されるとほっぺが林檎のように赤くなったからだとか。
バレエを習っていた事から、クラシック音楽を聴いていた椎名さん。
それ以外では、アストル・ピアソラやマイルス・デイヴィスまた映画『風の谷のナウシカ』のサウンドトラックをよく聴いていたそう。
また、お母さんの影響で五輪真弓、太田裕美、朱里エイコなどの昭和のミュージックも聞いていたそうです。
また、小学校時代にマドンナや女優の沢口靖子のように口元にほくろのある女性に憧れペンで書いていたところ、(インクが入ってしまったのか?)本物のほくろになったとか。
因みにこのほくろ椎名さんが24歳の時、手術で除去したそうです。
椎名林檎の出生・その他
椎名さんは1978年、11月25日埼玉県浦和市(現さいたま市浦和区)で生まれます。
家族構成は両親と4歳上のお兄さんとの4人家族。
お兄さんの名前は椎名純平さん。
椎名純平の足技 pic.twitter.com/bwvOhPaqyG
— Naoki (@hamajam_naoki) February 3, 2023
4歳の時からピアノを始め、クラシックバレエも幼少の頃から、10年以上習っていた椎名さんですが、生後まもなく受けた手術の影響で、左右のバランスが取れない障害が残り、ピアノとバレエを断念したそう。
埼玉県で生まれた椎名さんですが、2歳の時に静岡県清水市(現:静岡市)に移転、また小学6年生の時福岡市に移転し、以降高校中退後のフリーター時代までの約7年間を過ごしていました。
また椎名家は音楽的環境に恵まれた家庭にあったと言われ、椎名さんのデビューを後押しした同郷の音楽プロデューサーによると。
お父さんも音楽愛好家でクラシックからジャズまで、あらゆるジャンルの音楽のLP・CDが部屋いっぱいに並んでいて、音楽の話をするのが楽しそうでした。林檎ちゃんは家庭環境からみて、幼少時から良い音楽が体に染みこんでいると思いました。彼女の作品の中には、ジャズやシャンソンなどを取り入れた、若い作家にはあまり例をみない発想があります。
椎名さんの曲の独特のリズムは幼少期から自然に培ってきたものなのかも知れませんね!
椎名林檎の経歴・出生から現在まで
- 0歳 (1978年) 11月25日埼玉県浦和市(現さいたま市浦和区)に生まれる。
- 16歳(1994年)第19回ホリプロタレントスカウトキャラバンに出場。
- 18歳(1996年)「ミュージッククエストジャパンファイナル」に出場し優秀賞を受賞。
- 20歳(1998年)「幸福論」でメジャーデビューを果たす。
- 21歳(1999年)シングル「本能」がミリオンセラーになる。
- 22歳(2000年)11月・ギタリストの弥吉淳二と入籍。
- 22歳(2001年)7月・男児を出産。
- 23歳(2002年)1月、弥吉淳二と離婚。
- 24歳(2003年)9月、初の日本武道館公演敢行。夏の間に鼻の下のほくろを手術で除去。
- 25歳(2004年)5月、バンド「東京事変」としての活動を宣言。
- 33歳(2011年)12月第62回NHK紅白歌合戦に初出場。
- 33歳(2012年)1月、東京事変の解散を発表。
- 36歳(2015年)8月、自身初の海外公演を台湾・台北南港展覧館にて開催。
- 37歳(2016年)1月、リオ五輪(パラリンピック)閉会式で音楽監督を務める。
- 41歳(2020年)東京事変として第71回NHK紅白歌合戦に初出場。
おわりに
ここまで”椎名林檎の学歴(小学校・中学・高校・大学)と偏差値及び経歴”をご紹介させて頂きました。
1998年、20歳の時からまで芸能界で大活躍する椎名林檎さん。
この先も椎名林檎さんの更なる活躍を期待しています。
最後まで読んで下さりありがとうございました。
♦椎名 林檎さんのプロフィール | |
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引用元:椎名林檎 – Wikipedia | |
本名 | 椎名裕美子 |
別名 | Deyonná |
生誕 | 1978年11月25日 |
出身地 | 埼玉県浦和市(現さいたま市浦和区) |
ジャンル |
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職業 |
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担当楽器 |
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活動期間 | 1998年 – |
レーベル |
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事務所 |
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共同作業者 |
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公式サイト | SR猫柳本線 |
著名使用楽器 | |
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