法廷の外で人が裁かれる時代に、Netflixがまた一枚、危険なカードを切った。
真鍋昌平――『闇金ウシジマくん』で“金と罪”の生態系を描いた男が、今度は“法と倫理”を俎上に載せる。
その最新作『九条の大罪』が、ついに実写化!
主演は柳楽優弥、共演に松村北斗。
2026年春。世界配信のスクリーンで、「正義」という言葉が少しずつひび割れていくのを、僕たちは静かに見届けることになる。
九条と烏丸――社会の泥に鼻が利く二人の弁護士は、きれいごとを笑い飛ばしながらも、ちゃんと人を見ている。
そして小さくこう囁く。「正義って、意外とクセがありますよ」と。
この記事を読むとわかること
- Netflixで実写化される『九条の大罪』の最新情報(配信時期・主要キャスト・制作陣)
- 柳楽優弥と松村北斗が演じる“正反対の弁護士コンビ”の魅力と関係性
- 原作・真鍋昌平が描く「法とモラルの境界線」がドラマでどう表現されるのか
- 社会派ドラマとして世界配信される意義と、作品が投げかける“現代の正義”への問い
Netflixが仕掛ける「法と倫理の極限ドラマ」
Netflixが挑むのは、ただの法廷ドラマではありません。『九条の大罪』は、加害者の影に隠れた「社会の歪み」を照らす作品です。主人公の九条間人(くじょう・たいざ)は、世間が顔を背けたくなる依頼人ばかりを引き受けます。飲酒運転の轢き逃げ犯、麻薬の運び屋にされた青年、暴力団の出所者――誰であれ、法のもとで弁護する。それが彼の信条です。
柳楽優弥が演じる九条は、「思想信条がないのが弁護士」という危うい哲学を抱え、依頼人の“罪”と社会の“偽善”を等しく見つめます。モラルと法律の狭間で揺れる姿は、視聴者に「正義とは何か」を突きつける存在となるでしょう。
彼のもとで働くのは、SixTONESの松村北斗が演じる東大卒の若手弁護士・烏丸真司。理想と現実のはざまで葛藤する烏丸は、九条の矛盾だらけの正義を目の当たりにしながら、自らの信念を試されていきます。二人の弁護士が見つめるのは、法の条文ではなく“人間そのもの”です。
Netflixがこの作品に託したのは、日本の司法が抱えるリアルな矛盾を、世界の視聴者に届けること。
「悪を弁護する弁護士」という危うい題材を、映像の力でどこまで真実に近づけるか――そこに、このドラマ最大の挑戦があります。
⚖️ 『九条の大罪』前科者を扱った主なエピソード(要約)
巻 | 主な依頼人/前科 | 扱うテーマ | ポイント |
---|---|---|---|
第1巻 | 飲酒運転の轢き逃げ加害者 | 飲酒運転/過失致死/メディアの私刑 | “悪を弁護する理由”が提示される導入回 |
第2〜3巻 | 知的障害のある青年(運び屋として逮捕) | 弱者と犯罪/自白・証言の歪み | 機械的な裁きに対する九条の異議申立て |
第6〜7巻 | DVの前科を抱える父親 | 家庭内暴力/家族再生と赦し | 法と感情の距離感を測るケース |
第11巻 | 元アダルト女優(殺人前科)/半グレ関係者 | 性と暴力/更生と責任 | 連鎖する搾取のなかで“選択”を問う |
第12〜13巻 | 医療機関の不正受給・詐欺(組織犯罪) | 制度の穴/白衣の権威と責任 | 個人の罪と組織の罪の対比 |
第14巻以降 | 出所した暴力団構成員 | 再犯リスク/社会復帰の壁 | 烏丸の価値観が揺れる転換点 |
※各巻の位置づけは要約ベースです。詳細な事件名・話数(例:第○審)は単行本本文をご確認ください。
豪華キャストと制作陣が放つ“法の裏側”
キャスティングを見れば、この企画が本気だとわかります。
九条間人を演じるのは柳楽優弥。少年期から“正義と狂気のあいだ”を歩き続けてきた俳優です。
彼の静かな眼差しは、言葉よりも多くの倫理を語ります。
相棒・烏丸真司を演じるのはSixTONESの松村北斗。
東大卒のエリート弁護士という肩書きの裏で、九条の信念に心を揺さぶられていく役どころです。
冷静と情熱、理想と現実。その対比がこのドラマの体温を決めるでしょう。
脇を固めるのも強者ばかり。
池田エライザは、犯罪者と向き合うソーシャルワーカー・薬師前仁美を演じ、
町田啓太は裏社会とつながる整備工場の社長・壬生憲剛として登場。
さらに音尾琢真、ムロツヨシといった個性派が、法の“外側”で動く現実を体現します。
そして演出陣には『花束みたいな恋をした』『罪の声』の土井裕泰を筆頭に、山本剛義、足立博の実力派が集結。
プロデュースを務めるのは那須田淳。
『逃げるは恥だが役に立つ』や『流星の絆』で、時代の空気と人間の弱さを描いてきた名手です。
このチームがそろった時点で、“法の裏側”というテーマは単なる社会派を超え、人間ドラマとして立ち上がります。
Netflixエグゼクティブ・プロデューサーの高橋信一は、
「原作の第一話を読んだ瞬間、実写化を確信した」と語っています。
モラルと感情がせめぎ合う場面を、世界配信の映像として届ける――
そこに、今の日本ドラマが持つ可能性が凝縮されています。
柳楽優弥と松村北斗、正反対の弁護士に
『九条の大罪』を支えるのは、対極の信念を持つ二人の弁護士です。
柳楽優弥が演じる九条間人は、罪人を弁護することに迷いを見せません。
彼にとって弁護とは、善悪を秤にかけることではなく、社会が押しつける“正義”を検証する作業なのです。
その無表情の奥に、誰よりも鋭い観察眼と人間への興味が潜んでいます。
一方、SixTONESの松村北斗が演じる烏丸真司は、理想を信じる若きエリート弁護士。
「正義とは何か」「弁護士は誰の味方であるべきか」――その問いに真正面から向き合い、
九条の行動原理に戸惑いながらも惹かれていく。
二人の関係は、師弟でも対立でもなく、“価値観の実験”のような緊張感で描かれます。
柳楽が持つ静かな狂気と、松村の繊細な誠実さ。
その化学反応がこのドラマの推進力です。
一つの事件を追うたびに、彼らの間に流れる空気が変わっていく。
ときに敵として、時に共犯者として、
二人の弁護士は「正義の形」をめぐって、視聴者と同じ迷路を歩くことになります。
法を守るために人を傷つけるのか。
人を救うために法を曲げるのか。
柳楽優弥と松村北斗――この二人の対話が、ドラマの心臓そのものです。
真鍋昌平が描く“現代の矛盾”が、映像で動き出す
原作を手がける真鍋昌平は、社会の暗部を描かせたら右に出る者はいません。
『闇金ウシジマくん』で金と人間関係の地獄を描いた彼が、『九条の大罪』で焦点を当てたのは“正義の暴走”です。
弁護士という職業を通して、法の裏側にある人間の欲や恐怖、そして信念の危うさを暴きます。
真鍋作品の根にはいつも同じ問いがあります。
「罪を犯す人間」と「罪を裁く社会」、どちらが本当に悪なのか。
九条の弁護は、決して加害者の肩を持つためではなく、
世間が「悪」と決めつけた瞬間に見落としているものを探すためにあります。
今回の実写化で、その真鍋ワールドがどう動くのか。
土井裕泰監督と那須田淳プロデューサーは、漫画の“静かな残酷さ”をどう映像に置き換えるのかを追求したと語っています。
色彩や間、カメラの距離感まで、原作の余白を映像で表現する。
派手な演出ではなく、現実の息づかいを写す方向に舵を切ったのが特徴です。
真鍋昌平はコメントでこう語っています。
「大声の多数決の正義に押し潰される真実がある。
この作品は、そんな時代に“どう生きるか”を問う物語です。」
――その言葉通り、ドラマ版『九条の大罪』は、正義の形をめぐる現代社会の矛盾そのものを描き出します。
世界配信が意味するもの
『九条の大罪』がNetflixで世界配信される――それは単なるドラマの輸出ではありません。
日本社会が抱える「正義の限界」を、国境を越えて問う試みです。
弁護士が罪人を弁護するという構図は、どの国でも通じる普遍のテーマ。
けれど、九条の行動原理には日本特有の“世間の目”や“恥の文化”が強く影を落としています。
Netflixというプラットフォームが持つ自由度は、この作品にとって大きな武器です。
放送コードやスポンサーの制約から離れ、
暴力、貧困、倫理、性――日本のテレビでは触れにくかった領域を真正面から描ける。
その結果、ドラマは「正義の物語」ではなく「人間の告白」として立ち上がります。
また、海外の視聴者がこの作品をどう受け止めるかも興味深いところです。
日本では“悪徳弁護士”と批判される九条の姿が、
他国では“職務に忠実な弁護士”として映るかもしれません。
文化や価値観の違いが、そのまま“正義の相対性”を示す実験になるでしょう。
Netflixが仕掛けたのは、エンタメとしてのスリルと、倫理のリアリズム。
日本発のドラマがどこまで“正義”という普遍のテーマを翻訳できるか――
この作品はその試金石になるはずです。
この記事のまとめ
- Netflixシリーズ『九条の大罪』は2026年春に世界独占配信予定。
- 柳楽優弥と松村北斗が、法とモラルのあいだで揺れる弁護士を熱演。
- 土井裕泰監督×那須田淳プロデューサーが、現代社会の“正義のゆらぎ”を映し出す。
- 勧善懲悪を超えたヒューマンドラマとして、世界中の視聴者に問いを投げかける作品です。
おわりに:罪を抱えるすべての人へ
『九条の大罪』は、法を題材にしたドラマでありながら、
実は“人の生き方”を描く物語です。
弁護士・九条間人は、社会から見放された人々を弁護しながら、
自分自身の正義がどこにあるのかを探し続けています。
柳楽優弥と松村北斗という異なる感性を持つ俳優が、
その複雑な問いを生身でぶつけ合う。
観る者は、彼らの言葉や沈黙の奥にある“人間の矛盾”を見つめることになるでしょう。
このドラマが問いかけるのは、誰もが日常の中で抱える小さな罪――
見て見ぬふり、沈黙、無関心。
それらもまた、社会を形づくる“罪の一部”なのかもしれません。
法とモラルのあいだで、人はどこまで誠実でいられるのか。
『九条の大罪』は、その問いを静かに投げかけてきます。
2026年春、Netflixで。
あなた自身の正義を、どう定義しますか。
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