関ジャニ∞のメンバーとして、多方面で活躍する横山裕さん。
本記事では、横山さんの学歴、芸能界入りのきっかけから現在までの軌跡を深く掘り下げていきます。
この記事を読むとわかること
- 横山裕さんの出身小学校・中学校・高校に関するより詳細な情報
- 各学校時代の具体的なエピソードや人柄
- アイドルを目指した真のきっかけとオーディションの裏側
- 大学に進学しなかった理由と、その後の芸能活動への集中
- 公式SNSやモデル、女優としての多岐にわたる活動
横山裕の学歴と芸能界での経歴・出生・家族構成・幼児期
1981年5月9日、大阪府此花区で誕生した横山さん。
家族は両親と弟が2人の5人家族。
男3兄弟の長男として育ちました。
横山さんが3歳の頃に両親は離婚。
その後、5歳になると新しい父親ができ、その義父の名字が「横山」だったそうです。
あまり記憶がないそうですが、横山さんは義父になじめなかったようで、団地の2階上に住む祖父母の家で暮らすようになったとか。
幼少期のエピソード
幼い頃の横山さんは、活発でやんちゃな少年。
いつも外で遊ぶのが好きな子供でした。
一方で、寂しがり屋な一面も持ち合わせていたようです。
そんな彼の少年時代に大きな影響を与えたのが、母親の存在。
母親は横山さんが幼い頃から、厳しいながらも愛情深く接し、彼の成長を見守っていました。
横山裕の学歴と芸能界での経歴・小学校
横山裕さんの出身小学校は公表されていませんが、出身地の大阪府此花区内の公立小学校に通っていた可能性が高いでしょう。
具体的な学校名については特定に至っていません。
小学校時代のエピソード
小学生の頃は、あまり目立つタイプではなく、ごく普通の少年時代を過ごしていたようです。
友達と遊ぶのが大好きで、放課後には公園で野球をしたり、秘密基地を作ったりと、外で活発に過ごす日々でした。
また、漫画やテレビゲームも好きで、少年らしい一面も持ち合わせていたとか。
小学5年生の頃に祖父の体調が悪くなり、祖父母、両親、6つ下と8つ下の2人の弟と、計7人で一つ屋根の下で暮らすようになりました。
しかし、やはり義父を受け入れられず、めちゃくちゃ怒られた時には「本当のお父さんじゃないからや」と、子供ながらに反発心を覚えたといいます。
横山裕の学歴と芸能界での経歴・中学校
横山さんの出身中学校についても、具体的な学校名は公表されていません。
小学校と同様、大阪府此花区内の公立中学校に進学していたと考えられています。
中学校時代のエピソード
中学時代は、少し反抗期もあったようですが、持ち前の明るさで友達も多く、学校生活を楽しんででいました。
部活動については、明確な情報はありませんが、何らかのスポーツに打ち込んでいたというエピソードも聞かれます。
そして中学2年生の頃、彼の人生に大きな転機が訪れます。
当時仲の良かった友人がジャニーズJr.だったため、「俺らも入れるんちゃう?」という話になり、友人数名と共に履歴書を書きました。
しかし、何処に送るのかが分からずに放っておいたところ、「うちの子も入れるんちゃうか?」と思った母親が知らぬ間にジャニーズ事務所にその履歴書を送り、書類審査を通過。
中学3年生からジャニーズに所属することになったのです。
1996年12月25日、ジャニーズ事務所のオーディションに合格を果たし、芸能界デビュー。
関ジャニ∞ 8月25日関西デビュー日
おめでとう✨大きくなったね✨
当時のCDデビュー新聞記事
小さい記事でも本当に嬉しかった😄
少しずつ成長していく姿みるのが嬉しくて✨泣いて笑ってずっと一緒に歩いていけると思ってた
いつまで見守れるかな…きっと関ジャニ∞は試練も乗り越えられる頑張ってね pic.twitter.com/VyBeTVV4Rj
— ゆい (@_yokoyama_45_) August 24, 2018
オーディションの前日は夜中まで遊んでいましたが、母親の催促のもと渋々会場に行くと遅刻してしまいました。
審査員だった滝沢秀明さんから不合格にされかけたのですが、逆にこれらのことが当時社長のジャニー喜多川さんの目に留まり、「この後、コンサート観て行きなよ」と誘われ、転じて合格を果たしたというエピソードが残っています。
(このオーディションには村上信五さんも参加していました。)
オーディションの翌日には東京に呼ばれ取材を受け、その後渋谷すばるさんや村上さんらと関西ジャニーズJr.として活動。
関西ジャニーズJr.内ユニット・ヤングジャニーズのリーダーも務めました。
横山裕の学歴と芸能界での経歴・高校
横山さんの出身高校についても、公にはされていません。
ジャニーズJr.として活動を開始した時期と重なるため、芸能活動と学業を両立できる通信制高校や、芸能コースのある高校に進学した可能性が考えられます。
高校時代のエピソード
高校時代は、ジャニーズJr.としての活動が本格化し、多忙な日々を送るように。
ただ、家は裕福とは言えず、中学卒業後には実家を出て、建設会社でも働き始めた村上さん。
建設現場の仕事は、がれきを片付けたり、足場を組んだりする肉体労働。
仲のいい同じ年の子もいて楽しかったそうです。
ジャニーズの活動が軌道に乗って辞めることになったそうですが、とても居心地のいい職場だったと振り返っています。
ところで、学校生活と仕事の両立は決して楽なことではなかったはずです。
しかし、持ち前の明るさと努力で、学業もこなしながら芸能活動に励んでいました。
この時期、彼は関西ジャニーズJr.の中心メンバーとして、テレビや雑誌、舞台など様々なメディアで活躍。
次第にその才能を開花させていきます。
1997年には、後に「関ジャニ∞」のメンバーとなる村上信五さん、渋谷すばるさんらとユニットを組むなど、現在のグループの基礎が築かれました。
また、高校在学中には、ドラマ出演やバラエティ番組への参加など、幅広いジャンルで経験を積んでいます。
大学には進学していません
横山裕さんは、大学には進学していません。 高校卒業後は、芸能活動に専念する道を選びました。
大学に進学しない選択について
高校卒業時には、すでにジャニーズJr.として確固たる地位を築いており、多忙な日々を送っていました。
大学に進学しなかったのは、芸能活動に集中し、さらなる飛躍を目指すという彼の強い意思があったからだと考えられます。
23歳で関ジャニ∞としてデビューした後くらいに、母親ががんを患いました。
義父との仲がぎくしゃくし、最終的に離婚することになります。
「僕がしっかりしないと弟たちの将来がむちゃくちゃになる」「2人が独り立ちするまで支えなければ」と、横山さんは強く考えたそうです。
次男は高校卒業後に無事に就職。
三男は大学進学を希望したため、学費は横山さんが出したといいます。
2002年には、関ジャニ∞の前身となる「関ジャニ8」が結成され、2004年には「関ジャニ∞」としてCDデビュー。
以降、グループの顔として、また個人としても、ドラマ、映画、舞台、バラエティ番組など、多岐にわたる分野で活躍を続けています。
持ち前のトーク力や明るいキャラクターで、多くのファンを魅了。
現在では、MCや俳優としても高い評価を受けています。
この記事のまとめ
- 横山裕さんは大阪府出身で、地元の公立小中学校を卒業した。
- 中学2年生の時に母親がジャニーズ事務所に履歴書を送ったことがきっかけでオーディションに合格した。
- 高校時代にはジャニーズJr.として活動を本格化させ、多忙な中で学業と芸能活動の両立を図った。
- 大学へは進学せず、高校卒業後は芸能活動に専念する道を選んだ。
- 母親の勧めで始めた芸能活動だが、多くの出会いや経験を通じて、自らの夢を追いかけるようになった。
- 現在では、関ジャニ∞のメンバーとしてだけでなく、個人としても多方面で活躍し、国民的スターとしての地位を確立している。
おわりに
母親の強い後押しから始まった横山裕さんの芸能生活。
当初は戸惑いもあったかもしれませんが、持ち前の才能と努力で、今や日本を代表するアイドルグループの一員として、そして一人の表現者として、唯一無二の存在感を放っています。
彼のこれからの更なる活躍に、ますます期待が高まりますね。
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プロフィール | |
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愛称 |
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生年月日 | 1981年5月9日 |
出身地 | 日本・大阪府 |
血液型 | A型 |
身長 | 176 cm |
活動 | |
デビュー | 1996年(ジャニーズJr.) |
ジャンル | アイドル |
所属グループ | 関ジャニ∞ |
備考 | 俳優、タレント、MC |
他の活動 | タレント、俳優、司会者 |
事務所 | SMILE-UP. |
主な出演作 | テレビドラマ 『ザ・クイズショウ』 『左目探偵EYE』 『絶対零度〜未然犯罪潜入捜査〜』 映画 |
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