ビートたけし誕生にまつわる物語を描いた映画「浅草キッド」(監督・脚本劇団ひとり)
で、たけしの相方きよし役を演じているお笑いコンビナイツの土屋伸之(つちや のぶゆき)さん。
ナイツでも映画でも、つっこみが絶妙ですね!
今回はそんな 土屋伸之さんの出生と家族、卒業した高校や大学の偏差値と芸能界入りのきっかけと経歴をご紹介致しますね。
土屋伸之の出生と家族
土屋伸之さんは1978年10月12日千葉県船橋市で生まれます。
家族構成は、ご両親と2人の妹さんの5人家族。
お母さんの土屋和子さんはかつて「津島明希(あき)」として活躍していた演歌歌手で、1968年のデビュー。
既に引退していますが、『浪花節だよこの俺は』などの曲があり、同期には和田アキ子さんや前川清さんがいます。
土屋伸之の高校と偏差値
土屋伸之さんの高校は、創価高校です。
偏差値は驚きの70.
土屋伸之の大学と偏差値
土屋さんの大学は 創価大学経済学部です。
偏差値は46
大学生時代は公認会計士を志して、1日10時間位勉強していましたが、最終的には勉強についていけなくなり諦める事に。
そして公認会計士を断念した後、大学の落語研究会に入り、ここで現在の相方であり、一年上で部長だった塙宣之に出会います。
落研でのコンビ名は塙さんが命名した「山銭」で、シュールなコントをやっていました。
土屋伸之の芸能界入りのきっかけ
2000年4月、先に大学を卒業した塙さんが、まだ4年生だった土屋さんを誘ってを漫才コンビ「ナイツ」結成します。
そして、「ナイツ」デビューのきっかけとなったのが、先述のお母さんの力。
かって母が所属していたマセキ芸能社に母のコネで所属することになります。
マセキ芸能社は内海桂子師匠、ウッチャンナンチャン、出川哲朗らが所属していますが、
漫才師として内海桂子師匠に師事してデビューに至ります。
土屋伸之の経歴
「ナイツ」を結成した年の6月、塙さんがバイク事故で大けがを負い、コンビとしての活動は以年後からスタートしたが、実際はオードリーやNON STYLEなどと同期。
事故に遭った事を⇒ジーコに逢った等、後に事故ネタを披露する事も。
ロケット団、宮田陽・昇、ホンキートンクを加えた4組で「漫才協会の四天王」と、ロケット団とWコロンを加えた3組で「漫才協会の若手三羽烏」または「漫才協会の若手三銃士」と呼ばれたりもして次第に頭角をあらわし2003年 漫才新人大賞では大賞を受賞。
2007年、落語芸術協会に入会すると、
- 2008年 お笑いホープ大賞大賞受賞
- 2008年 NHK新人演芸大賞大賞受賞
- 2009年 第9回ビートたけしのエンターテイメント賞 日本芸能大賞
- 2009年 浅草芸能大賞新人賞受賞
- 2010年 第10回ビートたけしのエンターテイメント賞 日本芸能大賞
と立て続けに数多の賞を受賞し、2010年11月に漫才協会の真打に昇進します。
その後も、お笑い界を席巻し、
- 2008年 お笑いホープ大賞大賞受賞
- 2008年 NHK新人演芸大賞大賞受賞
- 2009年 第9回ビートたけしのエンターテイメント賞 日本芸能大賞
- 2009年 浅草芸能大賞新人賞受賞
- 2010年 第10回ビートたけしのエンターテイメント賞 日本芸能大賞
- 2013年 文化庁芸術祭優秀賞
等々の賞を総取り。
2016年5月22日放送の『笑点 歌丸ラスト大喜利スペシャル』の演芸では、番組初の終身名誉司会に就任し、司会を勇退する桂歌丸と共に漫才を披露。(2017年1月1日の『新春スペシャル』でも再び共演)その後も、
- 2017年 浅草芸能大賞奨励賞受賞
- 2017年 第67回芸術選奨文部科学大臣新人賞
等々、着実に実績を積み上げ現在に至ります。
おわりに
ここまで土屋伸之さんの出生と家族及び、卒業した高校や大学の偏差値と芸能界入りのきっかけと経歴をご紹介させて頂きました。
ナイツの土屋伸之さん。
するどいツッコミを武器にして、この先も更なる活躍を期待しています。
最後まで読んで下さりありがとうございました。
♦土屋 伸之(つちや のぶゆき)プロフィール
1978年〈昭和53年〉10月12日 生まれ
お笑いコンビナイツのツッコミ担当。相方のボケ担当は塙宣之
身長179cm、体重78kg、血液型はAB型。
マセキ芸能社所属。