2022年10月18日(同19日)に2022-23シーズン(2023年4月9日まで)が開幕したNBA。
NBAで4年目を迎えた八村選手ですが、昨シーズン(2021–22)は前半を欠場し出遅れたものの、42試合に出場。
平均11.3得点を挙げて今やチームの主力となっています。
ところで、八村選手より40年前の1981年に初めてNBAドラフトで指名を受けた日本人がいた事をご存知でしょうか?
その人の名は岡山恭崇さん。
元バスケ選手で現在は、関根床用鋼板株式会社の専務取締役。
今回は”岡山恭崇はジャイアント馬場より19㎝高い日本人初のNBAドラフト指名選手だった!”について紹介していきますね!
ところでジャイアント馬場って?
ジャイアント馬場(1999年1月31日没)とは、力道山、アントニオ猪木、タイガーマスクと並んで昭和の日本を代表するプロレスラー。
身長209cm体重145kg(全盛期)。
1960年9月30日のデビューから、1998年12月5日の引退まで38年間の活躍により、中高年層にはジャイアント馬場=大きい・巨人のイメージがありますが、岡山恭崇選手はその馬場より19㎝も高いバスケットボール選手だったんですね。
現在存命中の日本人の中では最高身長
ジャイアント馬場より19㎝高い岡山選手、228㎝の身長は、現在存命中の日本人の中では最高身長です。
※因みに岡山選手より高い身長の日本人は故・松坂良光さん(まつざか よしみつ、1935年 – 1962年)で、237cmでした。
その岡山選手の身長ですが、小さい頃から高身長で、小学校を卒業する頃には180㎝を超えていました。
そして柔道の強豪・九州学院高校時代には柔道部に在籍し、その時の身長は2m。
それからも伸び続けて、最終的に228㎝になった様です。
「元バスケ選手の岡山恭崇を電車の中で見かけ手のひらを見たら切手が貼ってあった、よく見たら文庫本だった」
ぎらっちのネタw#ij954 pic.twitter.com/148MErjWKd— mo10fu3@白熊 (@mo10fu_3) April 26, 2021
柔道部からバスケへ転向してバスケ留学
大商大の監督の熱心な誘いにより、柔道部員として幾多の大学のオファーを断り、大商大ではバスケへ転向。
柔道からバスケへの順応は早く、すぐに才能を開花。
大学3年時に、本場のバスケを見に行くことを監督に勧められ、米ポートランド大に1年間のバスケ留学をした岡山選手。
日本と全く異なる環境に対し、少なからずカルチャーショックを受けました。
「練習着は置いておけば次の日に洗ってある。
足を出せばテーピングをしてくれる。
ウェートトレーニングの環境がそろっている。
食事もキャンパス内で朝昼晩と食べ放題。
今の日本のプロのようなことをすでに大学でやっていたんですよ
スポーツ報知より掲出
環境、施設、そしてNBAの選手を目指すという選手たちの熱い意識に日本の選手との温度差を感じていた様です。
アメリカの大学の規定で留学中は公式戦に出場出来ませんでしたが、留学を終える1年が過ぎる頃、コーチからもう1年残れば1軍でプレーさせるとの言葉が!
けれども、ドクターチェックで「先端巨大症」との診断が下り、アメリカでのプレーは出来ないとの事。
チャンスを生かせず留学を終え帰国します。
住友金属工業のバスケットボールチームで活躍
1979年に住友金属工業に入社し、バスケットボールチームに所属すると、その高身長を生かしたプレーでいきなり活躍。
日本リーグのリバウンド王、新人王を獲得します。
その後も、得点王や敢闘賞などの個人タイトルも数多く獲得。
また同時に1979年から8年間に渡り全日本の主力選手として活躍しました。
1982年MVP(最優秀選手賞)
1979年~1985年(1984年を除く)ベスト5(優秀選手賞)
1981~ 1982得点王(1981年26.5点・1982年22.9点)
1981年1984年特別賞・敢闘賞(特別敢闘賞含む)
1979年・1981~ 1982リバウンド賞
日本人初・NBAドラフト8巡目の指名
そして、1981年には、NBAドラフトにおいて8巡目の全体171位でウォリアーズから日本人で初めてNBAのドラフト指名を受けます!
因みにこのドラフトにおいての指名は10巡まで行われ、223人が指名されました。
ビックリでしたけど、NBAでプレーできる実力はないと思っていた。
すごい人たちばかりでしたから。
今思うと、8巡目だったらノーチャンスですね。
スポーツ報知より掲出
後に岡山選手はこの時の心境を語っていますが、下記の理由により交渉は進まず、実際に岡山選手がNBAでプレーすることは実現しませんでした。
- 主力選手を失うことになる住友金属が移籍に難色を示した事。
- 岡山選手自身もオリンピック出場を希望していた事(当時NBA選手のオリンピック出場は禁止されていました)。
また、日本でのNBAの認知度も格段に低く現在程のニュースにもならなかった様です。
おわりに
ここまで、”岡山恭崇はジャイアント馬場より19㎝高い日本人初のNBAドラフト指名選手だった!”について解説して来ました。
高身長を生かしたプレーで数々のタイトルを挙げていた岡山恭崇選手。
NBAでプレーすることは実現しませんでしたが、ジャンプしなくてもダンクが出来そうな選手だった(笑)かもしれませんね!
最後まで読んで下さりありがとうございました。