2026年のNBAは、もはや「遠い世界のトップリーグ」ではなくなりました。
八村塁がレイカーズで安定したローテーションを掴み、富永啓生のNBA入りが話題になるなど、
日本人選手が普通に“NBAの文脈”で語られる時代です。
ただ、この空気感はここ数年で急に生まれたもの。
自分自身、YouTubeでハイライトを見ながら
「あ、日本人がNBAでプレーする光景って当たり前になったんだな…」としみじみ感じた瞬間がありました。
ところで――
今から40年以上前の1981年に、
“プレーせずともNBAに名前を刻んだ日本人”がいたことを知っている人は
実はそこまで多くありません。
その名前が 岡山恭崇(おかやま・やすたか)。

元バスケ選手で現在は、関根床用鋼板株式会社の専務取締役。
日本バスケの歴史を語る時、
この人の存在は絶対に外せません。
今回は”岡山恭崇は228cmの日本人初NBAドラフト指名選手だった|ジャイアント馬場より19cm高い男”について紹介していきますね!
この記事を読むとわかること
- 岡山恭崇が「日本人初のNBAドラフト指名選手」である理由
- 柔道からバスケへ競技転向し、ポートランド大学に留学した背景
- 住友金属時代の国内リーグでの活躍や獲得タイトル
- なぜNBAでプレーすることは実現しなかったのか(時代性含む)
ところでジャイアント馬場って?
まずは比較対象として名前が挙がる、ジャイアント馬場から触れておきます。
ジャイアント馬場(1999年1月31日没)は、力道山、アントニオ猪木、タイガーマスクと並んで昭和の日本を代表するプロレスラーです。
全盛期の公称身長は209cm、体重は145kg。

1960年9月30日のデビューから、1998年12月5日の引退まで38年間にわたってプロレス界の第一線で活躍し、中高年層には
「大きい人=ジャイアント馬場」
というイメージが強く残っています。
そのジャイアント馬場よりもさらに19cm高いのが、バスケットボール選手・岡山恭崇さん。
2026年の今、改めて数字だけを並べてみても、その存在が「規格外」だったことが分かります。
現在存命中の日本人の中では最高身長
ジャイアント馬場より19cm高い228cmという身長は、2026年現在も「存命中の日本人では最高身長」とされています。
※ちなみに、岡山選手より高い身長の日本人としては、故・松坂良光さん(まつざか よしみつ、1935年 – 1962年)が237cmで日本一とされています。
岡山さんは子どものころから背が高く、小学校を卒業する頃にはすでに180cmを超えていたと言われています。
その後、柔道の強豪校として知られる九州学院高校に進学し、柔道部に所属。高校時代には身長が2mに達していました。
そこからさらに身長は伸び続け、最終的に228cmに到達します。
「元バスケ選手の岡山恭崇を電車の中で見かけ手のひらを見たら切手が貼ってあった、よく見たら文庫本だった」
ぎらっちのネタw#ij954 pic.twitter.com/148MErjWKd— mo10fu3@白熊 (@mo10fu_3) April 26, 2021
柔道部からバスケへ転向してバスケ留学
岡山さんの経歴が面白いのは、もともとは柔道選手だったところです。
柔道の名門・九州学院高校で柔道を続けていた岡山さんには、当然ながら複数の大学から柔道選手としてオファーが来ていました。
しかし、その中で大阪商業大学(大商大)バスケットボール部の監督が熱心に勧誘。
柔道部員として多くの大学の誘いを受けていた岡山さんは、最終的に大商大に進学し、ここでバスケットボールへ転向します。

大学3年時には、監督のすすめもあり、本場のバスケットボールを学ぶためアメリカのポートランド大学に1年間のバスケ留学を経験します。
当時の日本とアメリカの「スポーツ環境の差」は大きく、岡山さんもかなりのカルチャーショックを受けたそうです。
「練習着は置いておけば次の日に洗ってある。
足を出せばテーピングをしてくれる。
ウェートトレーニングの環境がそろっている。
食事もキャンパス内で朝昼晩と食べ放題。
今の日本のプロのようなことをすでに大学でやっていたんですよ」
(スポーツ報知より)
練習環境、施設、サポート体制、そして「NBAを目指す」という選手たちの意識。
日本とアメリカの間には、当時すでに大きな差があったことがうかがえます。

アメリカの大学では、規定により留学生は1年間公式戦に出場できないため、岡山さんもこの期間は練習のみの参加でした。
それでも1年が経つ頃には、コーチから
「もう1年残れば1軍でプレーさせる」
という言葉をかけられるほど評価を高めていました。
しかしドクターチェックの結果、「先端巨大症」と診断されてしまいます。
健康面のリスクもあり、アメリカでのプレーは難しいと判断され、NBAを目指す前段階とも言える“大学バスケでの本格的な挑戦”は叶わないまま、日本へと帰国することになりました。
住友金属工業のバスケットボールチームで活躍
帰国後の1979年、岡山さんは住友金属工業に入社し、同社のバスケットボールチームに所属します。
ここで、いきなりその才能が開花します。
日本リーグでは、
- 新人王(1979年)
- リバウンド王(1979年)
といったタイトルを獲得し、圧倒的なサイズとインサイドでの存在感を見せつけました。
その後も、

得点力やリバウンド力を武器に、国内リーグの中でもトップクラスのセンターとして活躍します。
また同時に、1979年から8年間にわたり全日本代表の主力選手としてもプレー。
日本代表のインサイドを支える存在として、国際大会でもその高さを生かしたプレーを見せました。
1982年 MVP(最優秀選手賞)
1979年〜1985年(1984年を除く) ベスト5(優秀選手賞)
1981〜1982年 得点王(1981年:平均26.5点/1982年:平均22.9点)
1981年・1984年 特別賞・敢闘賞(特別敢闘賞含む)
1979年・1981〜1982年 リバウンド賞
タイトルの並びを見ると、単に「大きいから目立った」というレベルではなく、
得点・リバウンド・チームへの貢献度すべてを評価されていた選手だったことが分かります。
日本人初・NBAドラフト8巡目の指名
そして、岡山恭崇さんの名前を語るうえで欠かせないのが、1981年のNBAドラフトです。
この年、岡山さんはゴールデンステート・ウォリアーズから
8巡目・全体171位
で指名されました。
当時のNBAドラフトは10巡まで、計223人が指名される方式で、今とはシステムが異なります。
それでも、
「日本人がNBAドラフトで指名された」
という事実は、2026年から見ても歴史的な出来事です。
ビックリでしたけど、NBAでプレーできる実力はないと思っていた。
すごい人たちばかりでしたから。
今思うと、8巡目だったらノーチャンスですね。
(スポーツ報知より)

本人はこのように控えめに振り返っていますが、
当時の日本バスケ界にとっては大きなニュースであり、
現在の日本人NBAプレーヤーの活躍を語るうえでも外せない「前史」の一つと言えるでしょう。
なぜNBAでプレーすることは実現しなかったのか
ドラフト指名を受けたにもかかわらず、岡山さんがNBAでプレーすることはありませんでした。
その背景には、主に次のような理由があったと言われています。
- 主力選手を失うことになる住友金属が移籍に難色を示したこと。
- 岡山さん自身がオリンピック出場を希望していたこと(当時はNBA選手のオリンピック出場が認められていなかった)。
当時の日本では、NBAの知名度や価値は今ほど高くありませんでした。
国内の実業団チームで活躍し、日本代表としてオリンピックを目指す道も、スポーツ選手として十分に「王道」の選択肢だった時代です。
2026年の目線で振り返ると、
- 今よりも移籍の自由度が低かったこと
- 日本国内の企業チームの存在感が大きかったこと
- オリンピックとNBAの関係性が全く違ったこと
など、さまざまな「時代の条件」が重なり、NBAでのプレーには至らなかったと言えます。
個人的には、もし当時から今のようなBリーグや海外挑戦の仕組みが整っていたら、
また違ったキャリアの可能性もあったのではないか……と想像してしまいます。
この記事のまとめ
- 岡山恭崇は1981年にウォリアーズからNBAドラフト指名を受けた日本人選手
- 228cmという身長は2026年時点で「現在存命中の日本人最高身長」
- 国内リーグでは新人王・MVP・得点王など複数タイトルを獲得し日本代表でも活躍
- 時代の条件(移籍制限・五輪事情・実業団体制)によりNBAプレーは実現せず
岡山恭崇の学歴に関するよくある質問
おわりに
ここまで、
「岡山恭崇はジャイアント馬場より19cm高い、日本人初のNBAドラフト指名選手だった!」
というテーマで、その経歴や背景を振り返ってきました。
日本リーグで数々のタイトルを獲得し、日本代表としても長く活躍した岡山恭崇さん。
NBAでプレーする姿を見ることはできませんでしたが、
「228cmの日本人センターが、1980年代にすでにNBAのドラフトボードに載っていた」
という事実は、今の日本バスケの歴史を語るうえでも、とても大きな意味を持っています。
今では八村塁選手や渡邊雄太選手、そして次の世代の選手たちが、
当たり前のように「NBA」という舞台に挑戦するようになりました。
そのずっと前に、静かに、しかし確かに道を切り開いていた選手がいた――
そう思うと、日本バスケットボールの歴史は、少しだけ立体的に見えてきます。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


