沖縄って昔はアメリカの統治下だったの?ドラマ『ちむどんどん』に見る当時のオキナワの状況は?

2022年ドラマ

2022年は、沖縄本土復帰50年。


“朝ドラ”第106作は個性豊かな沖縄四兄妹の、本土復帰からの歩みを描く
笑って泣ける朗らかな、50年の物語。

えっ!沖縄の本土復帰って何?

実は第2次世界大戦、いわゆる太平洋戦争で、日本の敗戦が宣言されてから、1972年(昭和47年)5月15日の沖縄本土復帰に至るまでの、27年間。沖縄はアメリカの占領統治下にあったんですね。

今回は” 沖縄って昔はアメリカの統治下だったの?ドラマ『ちむどんどん』に見る当時のオキナワの状況は? ”について解説していきます!


スポンサーリンク

『ちむどんどん』に見る当時のオキナワの状況

比嘉暢子が育った頃の沖縄は、アメリカの統治下。

そして、沖縄の本土復帰と共に上京し、西洋料理のシェフを目指し修業をしながら青春を送ります。


では、そのころの沖縄はどんな状況下にあったんでしょうか?

琉球政府が設立

1952年4月、「サンフランシスコ平和条約」が発効され日本は主権を回復しますが、沖縄は引き続きアメリカの施政権下に置かれることになり、アメリカ軍部が沖縄に設置した琉球列島米国民政府(USCAR)の下部組織として琉球政府が設立し、、沖縄は日本本土から分断され、米国の施政権下に置かれました。

日本から沖縄に行くにはパスポートが必要!

1972年5月15日の日本復帰を境にパスポートは廃止されますが、それ以前、沖縄が米国の統治下にあったころは、沖縄と日本本土を行き来するためにパスポートが必要だったんですね!

joh********さん
2009/6/21 20:104回答沖縄は昔は日本国外で旅行の際はパスポートが必要だったと
聞きましたが本当ですか?
詳細をお教えいただけないでしょうか。
♢パスポート・301閲覧●共感した

ベストアンサー

このベストアンサーは投票で選ばれましたtky********さん2009/6/21 20:22パスポートというより、身分証明書です。当時の沖縄は、アメリカの領土というわけではなく、
米軍の施政下にあったので、立ち入り許可証のようなものとして必要だったということです。昭和47年からは、返還されていますので
パスポートなしでいけるようになっているということです。それまでは、車は、今と逆で右側通行で、
通貨もドルだったそうですよ。
【出典】http://www.h7.dion.ne.jp/~tayori/kanrinin/etc/etc_9.htm
画像

パっと見アメリカですよね!

米兵による犯罪の多発から、潜在的な住民の反米感情が

アジアにおける前線基地として米兵が多く、米兵による犯罪の多発から、潜在的な住民の反米感情があった様です。


特にベトナム戦争時は連日の様に飛行場から爆撃機の離着陸が頻繁に行われ、嘉手納飛行場でB-52爆撃機の墜落事故に続き、基地内でVXガスが漏れるという危険な事故もあり・反米感情が急速に高まって行きます。

そしてついには、旧コザ市(現在の沖縄市の一地域)で数千人の住民が暴徒化し、米軍車両数十台を焼き払うというコザ暴動が起きる等、本土復帰前夜はかなりきな臭い時期でもありました。

1972年(昭和47年)に本土に復帰

「ちむどんどん」のヒロイン暢子が東京に渡り、念願の有名レストランの厨房で厳しい修業を始めた1972年(昭和47年)、沖縄が本土に復帰します

終戦から27年もの間米軍の施政権下におかれた沖縄は、27年間もの間、日本政府から十分な支援を受けることができず、復帰当時の沖縄は、道路、港湾、学校、病院、住宅などのインフラが不足していた状況。

世界でも有数なリゾート地を抱えるまでに繁栄した現在の沖縄とは、似て非なる物だったんですね。

そんな状況下の中、物語は展開して行きます

まとめ

ここまで、” 沖縄って昔はアメリカの統治下だったの?ドラマ『ちむどんどん』に見る当時のオキナワの状況は? ”を解説してきました。

50年まえの沖縄の状況を理解した上でこのドラマを観ていただけば、より共感する部分もあるかも知れませんね!

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました