【大河ドラマ】中村獅童が極悪人の梶原景時に!『鎌倉殿の13人』

鎌倉殿の13人

三谷幸喜脚本・小栗旬主演の2022年大河ドラマ『鎌倉殿の13人』のキャストが、脚本家の三谷幸喜によって発表されていますが、中村獅童が重要な役柄に!

その役柄は鎌倉殿の13人の一人梶原景時 。

大河ドラマは1989年の春日局稲葉正定 役以来7作目。

三谷幸喜脚本の大河ドラマでの登場は久しぶりで、、2004年1月11日から12月12日まで放送されたNHK大河ドラマ第43作。『新選組!』(しんせんぐみ)の滝本捨助(たきもと すてすけ)以来2作目なんですね。

『新選組!』の滝本捨助
今回は”【大河ドラマ】中村獅童演じる梶原景時 !極悪人は誰?”について解説いたします。



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【大河ドラマ】で中村獅童演じる梶原景時は極悪人?【鎌倉殿の13人】の一人梶原景時とは?

2022年放送のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」

本作で大河7作目となる中村獅童が演じるのは、頼朝の死後「十三人の合議制」を構成した御家人の一人である梶原景時。

因みに中村獅童の大河ドラマの中で源平の争乱期を演じたものは今回が初めてです。

よく極悪人と揶揄される景時ですがその実態はどうだったんでしょうか?

中村獅童演じる梶原景時はどんな人

 


その前に梶原景時の出自を見ていきましょうね!

梶原景時の出自と家柄

梶原氏の家系図
梶原景時・別名平三(へいざ、へいぞう)は、保延6年(1140年)父、梶原景清 、母、横山孝兼の娘の惣領として生まれます。

梶原氏は坂東八平氏の流れをくむ鎌倉氏の一族で、家系図のとおり大庭氏とは同族で、基をただせば、桓武天皇を祖とした高貴な家柄なんですね。

曾祖父、または従曾祖父に後三年の役で源義家のもとで戦い、鎌倉武士の鑑とされる程勇敢な武士・鎌倉権五郎景政がいます(梶原氏の祖・景久の従兄弟)。

また、梶原氏は大庭氏らとともに源氏の家人でしたが、平治の乱で源義朝が敗れた後は平家に使えていました。

一見、裏切りの様なきもしますが、名家だけに家を潰すことだけは避けたかったんですね。

石橋山の戦い

源頼朝は以仁王の令旨(もちひとおうのりょうじ)を奉じて挙兵します。

頼朝は義父で妻政子の実父・北条時政やその子の宗時・時宗と共に頼朝の挙兵に従い伊豆国目代山木兼隆を襲撃したとの報に、景時は親戚の大庭景親とともに頼朝討伐軍を結成。


石橋山の戦いで寡兵の頼朝軍を打ち破ります。

令旨の要旨
「清盛法師ならびに宗盛らは威勢をもって狂暴に振る舞い、国を傾け、百官万民を混乱させ五機七道を掠め取り、後白河法皇を幽閉し関白基房ら法皇の近臣を流罪にしたりして皇室を叛き、仏法を破滅させている。もしこの挙兵に応じない場合は、清盛法師の従類とみなし、死罪その他の罪過を科すであろう。もし味方して戦功があれば、私が即位した後、かならず願いどうりの恩賞を与える」  (『吾妻鏡』より) 

石橋山の戦いで敗走の頼朝を助けた景時!

『吾妻鏡』によると敗走した頼朝は土肥実平、岡崎義実、安達盛長ら6騎と、しとどの岩屋の臥木の洞窟(現在の湯河原町)へ隠れますが、直ぐに追手の大庭景親が追いつき、この臥木が怪しいと洞窟の中を探索しょうとしますが、景時がそれを制して自ら洞窟の中に入り、頼朝を発見します。

頼朝は万事休すと自決しようとしたところ、「ここは見なかったことにして、お助けしましょう。その代わり戦に勝った暁には、この事を忘れ給わぬよう」と頼朝を止め、大庭景親には「蝙蝠ばかりで誰もいない、向こうの山が怪しい」と言い放ちます。

しかし、これに納得出来ない大庭景親

自ら洞窟に入ろうとしますが、「わたしを疑うか。男の面目が立たぬ。入ればただではおかぬ」と詰め寄り、諦めた大庭景親は立ち去り、頼朝は景時により一命を永らえます。

ピンチ脱出!頼朝はこのことを後々迄、忘れませんでした!

そして頼朝の側近ナンバー1へなった景時!

 

石橋山の戦いで敗北した頼朝はその後、安房国(あわのくに)で体制を立て直し、打倒平家を掲げて西を目指して進軍を開始、そのころには、諸国の兵が集まり、2万5000余騎に膨れ上がっていたんですね。

そして、1180年10月に富士川の戦いで平家軍に勝利。

翌1181年1月、源頼朝の元に馳せ参じた景時はそのまま頼朝の御家人に列します。弁舌が立ち、しかも教養のある景時は頼朝の信頼も厚く、鶴岡若宮の造営、囚人の監視、御台所・北条政子の出産の奉行等に徴用され、侍所所司(次官)に任じられる等側近ナンバー1の厚遇を受けていきます。

坂東武士には無い文治派だった景時!

頼朝にとって梶原景時は命の恩人。

最初はそれで側近にしたとも伺えますが、それだけでは側近ナンバー1にはなれません。

実は景時には坂東武者には無い秀でた事務能力・実務能力の高さがあり、頼朝はそれを喜び重用したと言われています。

 

例を挙げれば、戦の報告書について、多くの坂東武者の報告はただ「勝ちました!」と簡単に報告する程度だったのに対し、景時の報告書には、討ち取られた場所、様子、おもだった敵方の武将の死者と討ち取った者の名前など詳細に戦果を記しているんですね。

戦闘の時期が終焉しこれからどう国を統制していくか?

貴族から武家による政治を進めようとする頼朝にとって、政権奪取後の御家人にはもはや武闘よりも、文治派の人材が必要だったといわれ、これは丁度、豊臣秀吉が文治に秀でた石田三成を重用したのに重なります。

頼朝の死と「13人の合議制」

苦労して鎌倉幕府を興した頼朝ですが、落馬で急死してしまい、18歳になった頼家が2代目を継ぎますが「若い」「経験不足」という事でこれをサポートするという事で打ち出されたのが御家人による「13人の合議制」です。

ただ、「13人の合議制」になっても景時の立ち位置は何ら変わらず、頼家といえば梶原景時だけを信頼し、他の有力御家人とは対立していました。

 

 

これを嘆いた結城朝光という人物が亡くなった頼朝を回顧してこんなことを言います。

「忠臣は二君に仕えず」というが、頼朝様が亡くなった時、自分も出家遁世しようとしたが、頼朝様の遺言により叶わなかったことが今となっては残念だ」

裏を返せば頼家に仕えなければ良かったと言っている様なもので、これを聞いた義時が激怒してこれを「頼家への誹謗である」と讒言し断罪を求めました。

このことを知った御家人たちは怒り、三浦義村、和田義盛ら諸将66名による景時排斥を求める連判状が頼家に提出されたんですね。

源頼家は、梶原景時に弁明を求めると景時は何も答えずに、その後、一族揃って関東を離れ、自分の所領である播磨(はりま)に向かいますが、駿河で襲撃され絶命します。

梶原景時の死後、有力御家人たちが次々と北条家による謀略により欠落していきますが、一連の案件も北条家による謀略か?

証拠はありませんが疑わしいところです。

中村獅童・コメント

中村獅童
以下中村獅童のコメントをお伝えしますね!

歌舞伎では『梶原平三誉石切かじわらへいぞうほまれのいしきり』という演目や、その他さまざまな演目にもたびたび登場し私自身も演じたことがあります。その人柄は、大悪人といわれることも多い、悲劇の武将『梶原景時』。でも三谷さんのことだからただの悪人というわけではないはず……。諸説ある歴史背景とともに、三谷さんがどのように描いてくださるか今からワクワクしています。

掲出先  :   NHK PRより

まとめ

ここまで【大河ドラマ】中村獅童演じる梶原景時 !極悪人は誰?について解説いたしました。

13人の中で極悪人と揶揄された梶原景時の生涯を、「新選組!」や「真田丸」の三谷幸喜がどうアレンジし、三谷大河2作目の中村獅童がどのように演じるか今から楽しみですね!

最後まで読んで下さりありがとうございました。

 

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