2016年5月1日に耐震工事と展示室の改修を終え、歴史的な城としての重みを増したかに見える小田原城。

しかし私が子供の頃は城と言うより「動物園」というイメージが強かったんですね。

象やキリンはもとより、確かライオンもいたと思うのですが…。
今回は”小田原城には昔、動物園があった!【ライオンから象まで飼育】”というテーマで解説していきますね!
この記事を読むとわかること
- 小田原城にかつて動物園が存在していた歴史
- 動物園が廃止された理由とその背景
- 猿が現在も小田原城に残されている理由
現在の住人は猿
小田原城の赤い橋。
学び門を渡り、二の丸から本丸向かう常盤木門を潜ると、直径約5メートル、高さ約7メートルの円柱形の檻が見えてきます。
檻の中には…。

あれっ!サルしかいませんね?
ちょっと小さいけれども、ひととおりの動物は居たはずの小田原城の動物園。
もしかして私の記憶違い?
70種332点の動物がいた動物園
小田原動物園は1950年、市が催したこども文化博覧会に伴い、城の敷地内につくられた遊園地とともに開園。
象のウメ子が上野動物園から来園した。
当時の動物数は「38種93点」で、キツネやニホンアナグマ、カニクイザル、タイワンザル、ワニ、アヒル、インドクジャクなどを飼育。
本格的に動物の種が増えて、小田原市の記録ではピーク時の86年にライオンやヒグマなど70種332頭の動物が飼育されていたというんですね。

やっぱり居たんですよね~
はい!確かにいろいろな動物(キリン・ライオン・フラミンゴ、アザラシ・ヒグマ・ツキノワグマ等)が飼育されていて、その種を増やして行ったんですね。
小田原城動物園は、なぜ廃止になったのか?
”小田原城動物園は、なぜ廃止になったのか”というと、これには以下のように2つの理由があるんですね
動物園廃止の理由その①
一つ目の理由としては、小田原城が城跡として整備され、59年に国指定史跡となった後、文化庁から「城跡に動物園が混在するのは史跡として如何なものか」との指摘を受けた事。
動物園廃止の理由その②
二つ目の理由としては、老朽化を契機に動物園を「撤去を図る施設」の一つに市が位置付けた事。
動物園の動物の大移動
その後、市は2005年度から「本丸広場環境整備事業」で本格的な撤去に着手。
動物たちは日本動物園水族館協会を通じて移転先を探し、全国の動物園や公園に順次引き取ってもらうべく、動物達の大移動が始まりました。
なぜ猿だけが残されたのか?
ここで「何故猿が取り残されたのか?」一言で言えば、サルの習性なんです。
「サルは、縄張り意識が強く、既にサルがいる施設では移転先のサルと喧嘩してしまうので、小田原動物園のサルだけでの新規移転が前提になる」という事。
また、市が管理委託する「小田原こどもの森公園わんぱくらんど」(同市久野)への移転も一時期、検討されたのですが、野生のサルを呼び寄せる可能性がある事と、周辺農家の農作物被害が予測される事から断念した経緯があるんですね。
市は引き続きサルの引き取り手を探しているんですが、見つからないまま時がたってしまったようです。
象のウメ子
1950年から小田原動物園で多くの人々に愛されてきたアジアゾウの「ウメ子」(メス)が死亡したのは2009年。
推定年齢62歳は人間の100歳超に相当し、国内で飼育されている象の中では最高齢での大往生でした。
象のウメ子(2008年撮影)
2005年度からの「本丸広場環境整備事業」における動物達の移転に際しては、その高齢から、ここを終の棲家にと、市の意気な計らいで大往生出来た事は本当に良かったと思いました。
おわりに
ここまで”小田原城には昔、動物園があった!【ライオンから象まで飼育】”というテーマで解説してきました。
現在、餌代だけで年間約60万円を支出している猿たちですが、仮に移転をすることになったとしても、猿たちにとって最も幸せな環境での移転であるよう切に願います。
最後までお読みいただきありがとうございました。
この記事のまとめ
- 小田原城にはかつて動物園があり、ライオンや象など多種多様な動物が飼育されていた。
- 動物園は文化庁の指摘や老朽化により撤去されることになった。
- 猿が現在も小田原城に残されている理由は、縄張り意識の強さと移転の困難さにある。
- 象のウメ子は最高齢で大往生し、市民に愛され続けた。
- 動物園廃止後も、動物たちの移転や管理に市が尽力している。
- 現在も猿の引き取り手を探しているが、困難な状況が続いている。