横浜の山下公園にまるでその位置にあるのがあたりまえのように係留されている日本初の豪華貨客船「氷川丸」。
以前一度見学したことがあるんですが、「豪華ですごい!」という漠然とした事しか覚えていなかった(笑)ので改めて見学しました。入艦から退艦まで歴史も踏まえてご紹介しますね✨
氷川丸見学経路
艦内に入ってすぐのカウンターで入場料を払います
氷川丸とシーバスの間の橋桁を渡り、氷川丸の横の入り口から中に入ると受付カウンターがあり、そこで入場料(300円)を払いチケットと氷川丸のパンフレットを貰います。
この受付カウンターがあるエントラスロビーは氷川丸の誕生から、シアトル線に配船、戦争のあとのシアトル線復帰、最終航海を終えて横浜港に曳航される氷川丸のボードが展示され、おおざっぱに氷川丸の歴史がわかります(一つ一つ読んで行ったら10分位かかりました!)
長~い通路が、映画「タイタニック」を彷彿!
エントラスロビーからいよいよ探索に出発!
するとすぐに客室を挟んだ長~い通路にあれっ?
何か見たことあるな~と思っていたこの通路、映画「タイタニック」でレオナルド・ディカプリオ演じるジャックが、ケイト・ウィンスレット演じるローズと駆け抜けた通路に酷似。
海水が流れ込んで来た長い通路を越えて行くその先は…。
あっ!一瞬意識が…。
…話を戻しましょう。
氷川丸の華麗なる船旅に驚愕!
長い通路を抜けると「一等児童室」。
1等船客専用の遊戯室で、”スチュワーデス”と呼ばれた現代の保育士さんが、子供達のお世話をしていたそうです。
お金持ちの子供って遊ぶにしても専用の部屋があるんだ~😸とその可愛らしいパステルカラーの部屋を見てちょっと羨ましく思いました。
そして、続く一等食堂。
まず、入った瞬間あちこちから、どよめきやため息が聞こえました。
アールデコの壁やテーブルが真っ白なテーブルクロスとマッチしたこの空間。
上品さと豪華さを兼ね備え、いかにも豪華客船といった体を装っていました。
一等読書室を抜け一等社交室へGo!
船の中とは思えない程ゴージャスな螺旋階段を昇り、どっしりとした造りの本棚があるのは一等読書室。
そして突き当たりが一等社交室で、椅子やテーブル、壁にかけられた絵画に至るまで重厚で豪華。
こちらでは毎晩、椅子やテーブルが片付けられ、ダンスパーティが催されという事。
また、1等客室と3等客室の乗客は明確に分けられていたと、ボードの説明にあるんですが、実際、1等社交室の入り口には、3等客室の入室お断りのプレートがかかっているのを発見。
何かひどくないですか?
差別というか、船の中にも格差があった。
今でも1等3等はありますが、この時代は格差がかなり露骨。
ハラスメントなんて存在しない時代を感じます。
氷川丸の展示品に釘付け!
1等社交室を抜けると、説明ボードと氷川丸所縁(ゆかり)の展示品に見学スピードがぐっと落ちます。
そこには、氷川丸での一日の過ごし方をタイムテーブルにして表示、モーニングコーヒーから始まりデッキでゴルフや輪投げをしたりダンスパーティに行ったり、夕食にスキヤキパーティをしたりとまさに憧れのシアトル航路です(あくまでも1等客室)
その他氷川丸の積み荷とか、羅針盤等の船の装備品、またチャールズ・チャップリン(知ってます?世界的に有名な喜劇王です)や秩父宮両陛下が利用した当時の写真が展示。
改めて氷川丸の歴史を感じました。
氷川丸の驚き~の運賃!
氷川丸が配船されたのは、押しも押されぬ華麗な北米航路シアトル線(横浜~シアトル)ですが見学中こんなボードがありました。
一見何気ない値段にも思えますが、1000円あれば家が建った時代。
現在だと家一軒どんなに安くても2千万としてその半額で1千万の運賃。
2等で500万、一番安い3等にしたって200万は下らない。
アメリカに渡るのは大変だったんですね。
一等喫煙室から一等客室、一等特別室へGo!
皮張りのゆったりした椅子が何脚かある部屋が一等喫煙室。
なんだか妙にワイルド。
ここで、タバコをくゆらし商談でも…といった感じの趣。
実際、高級タバコや、お酒が揃っていたそうです。
そして1等客室・1等特別室へと続きますが、コンパクトに、しかしあくまで豪華さをまとった客室。
ただ豪華だけど、1等客室の方はコンパクトすぎて少し狭苦しさも感じました。
自分ならこの部屋は寝るだけにして社交室なり、甲板に出ていた方がいいかな?
ただ、1等特別室の方はいろいろな国の有名人(先述のチャップリンや秩父宮両殿下)も泊まっただけあって広さは十分。
この部屋なら外に出なくても過ごせそうかな?ゆっくりお茶でも飲んで…。
まぁ単なる空想ですが~(=^・・^=)
1等客室と1等特別室
操舵室にヨーホー!
1等特別室から一旦外に出て、急な階段を登って行くとお馴染みの船の舵があります。
言わばここが船の総司令部の操舵室(神棚があり、氷川神社のお札が飾ってありました!)。
また、後ろには無線室(氷川丸の竣工時は、海図室でした)があり、何やら、いろいろな機械が並んでおり見ているだけで興味深いんですね。
その一つ下の階には船長室。
こちらは、操舵室で問題が発生時にはすぐに船長が駆けつけて的確な指令を出せる様、操舵室に近い場所にしてあるとの事でした。
なんとなくジャックスパロウが出て来そうでわくわくしますね!
ヨーホー!
ここから、野外デッキへ、
野外デッキから機関室へ
野外デッキからは、マリンタワーやホテルニューグランド或いは停泊中のマーリンルージュやシーバス等見晴らしは最高(急に現実的ですが!)、広々としていて気持ちいいですね。
ここでは輪投げやスキヤキパーティ等、が行われていたそうです。
そして機関室。
大きなタービンが並びいかにも力強い感じ。
直列8気筒5500馬力のデイーゼルエンジンなんだそうです。
ただ、前に来た時はタービンの根元から見学出来たのだけど、今回は上の部分だけしか見れなかったんですね。
もしかしてコロナの感染対策かな?ちょっと残念でした。
三等客室から展示室を最後に退艦します
3等客室は2段ベッドが並ぶ8人部屋で、1等客室や、1等特別室に比べると雲泥の差。
また、1等やツーリストクラスとは別のエリアで、通行は制限され、自由な往来はできなかったそうです。(※注 現在、3等客室は通行止めです)
そして、展示室に進みますが、ここには氷川丸の知られざる歴史が…以下、気になったボードから以下の2点を抜粋して紹介して行きますね。
戦争中は病院船にもなった氷川丸
パネルによると、第二次世界大戦初期の1941(昭和16)年。以外な事に氷川丸は貨客船から海軍特設病院船に改装され海軍に徴用されたそうです。
戦地の海軍病院で苦しむ戦傷病者を収容し、日本に帰国させるという危険な任務の中、終戦までのおよそ3年半で、計24回航海し、3万人に上る戦傷病者を看護・収容し輸送したとの事。
修学旅行のホテルにも使用
大戦後の氷川丸は、シアトル線に復帰の後、最終航海を終えて、山下公園に係留されましたが、係留初期の頃は氷川丸をホテルとして修学旅行の生徒に解放して使用していたそうです。
めっちゃくちやカルチャーショックを受けたんだろうな~とその客室を巡りながら考えてしまうんですね。
何しろあの喜劇王チャップリンや秩父宮両陛下も泊まった豪華客船ですから!
アレ?でもどの部屋に泊まったのかな…まさか、1等特別室は無いですよね~😸
氷川丸の概要
- 竣 工 1930(昭和5)年4月25日、横浜船渠(現・三菱重工業㈱)
- 全 長 約535フィート
- 総重量 1万1622トン
- 最高時速 18・5ノット(21・3マイル)
- 収容客数 一等79名、二等70名、三等140名の289名。貨物は主に石炭や食料品
パネル展示を見終わり、時計を見たらちょうど1時間経っていました。
今回はブログを書くにあたって、写真を撮るなど時間がかかりましたが、普通に見学すればもっと短い時間(人によりますが…)で見れると思います。
山下公園へのアクセス
JR京浜東北・根岸線/横浜市営地下鉄ブルーライン「関内駅」より横浜球場→中華街を抜けて徒歩20分
みなとみらい線「元町中華街駅」より徒歩3分
突き当りを左へ行けば山下公園です!
また、横浜駅東口からシーバス(山下公園まで700円)も出ていますので海から行く方法もあります。

まとめ
マーリンシャトルやシーバス。サザンの歌詞にもあるマーリンルージュ或いは大桟橋から出港のロイヤルウイング等、海の乗り物って何故か郷愁をそそるんですね!お近くにお寄りの際は是非お立ち寄りください!
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