横浜「山手」のレトロな西洋館とドレス撮影

観光スポット

 

皆様は、横浜の古き良き時代って興味ありますか?

男爵・伯爵・子爵・ご令嬢・執事・なんて言葉が似合いそうな横浜の邸宅を巡るコース。

今回は「横浜山手の西洋館巡り」というアンティークな山手の西洋館をJR「石川町駅」から「港の見える丘」へ向かって歩いて行きました。
途中、おしゃれなカフェに立ち寄りながら歩いて来た行程を、皆さまにご紹介して行きますね。

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横浜山手の西洋館巡り

外国人居留地として横浜の開港から進化を遂げる横浜を見守ってきた山手エリア。

そこには数々の横浜の歴史が垣間見えます。

さっそく歩いて行きましょうね!

スタートはJRの「石川町」駅から

横浜山手の西洋館巡りはJR石川町からみなとみらい線の元町・中華街駅に向かって歩くコースとその逆から行くコースがありますが、今回は「石川町」からスタートしました。

JR「石川町駅」
JR「石川町駅」に降りたら先頭車両側の階段(山手側)を降りて行きます。


階段を降りて改札を抜け、右に曲がります。

 


右に行くとすぐにコンビニがあるのでさらに右に曲がり、


石川町駅前郵便局を左手にして道なりに行くと、


緩やかな登り坂(大丸谷坂)の右手左に見えてくるのは、「山手イタリア山庭園と外交官の家、ブラフ18番館」の案内版。


案内版の隣に入口の門があります。


さっそく入ってみましょう!

まずは可愛い「ブラフ18番館と外交官の家」を見学!


石段を登った裏手に大きな大島桜がありました!

今は季節外れなので咲いていませんが、春には満開の桜を咲かせる事でしょう

「ブラグ18番館」

ブラフ18番館に着きます!「ブラグ」と言うのは「切り立った崖」という意味。

実際、山手はこうした地形が多かったことから、そこに居住する外国人達からこう呼ばれ、住所等は「Bluff○○番地」と表示されていました。

そうしたことからこちらの建物も「ブラグ18番館」と呼ばれていたんですね。

「ブラフ18番館」の内部
「ブラフ18番館」の内部も基調は外観とおなじの白と緑。

床の茶色に合っていますね。

ところで、「ブラフ18番館」はもともとオーストラリアの貿易商バウデン氏の住宅として関東大震災後に山手町45番地に建てられました。

第二次世界大戦後は天主公教横浜地区(現カトリック横浜司教区)の所有となり、カトリック山手教会の司祭館として1991年まで使用されていたものです。

同じ年、横浜市が部材の寄付を受け、現在の場所である山手イタリア山庭園内に移築復元され、1993(平成5)年から一般公開されているんですね。

 

「ブラフ18番館」のお庭からは見晴らしの良い景観が望めます。


高台なので、ここの庭からはランドマークタワーやベイブリッジも見えルン(’-’*)♪ですね!

シルエットが凛々しい外交官の家

ブラフ18番館の隣にはそのシルエットが凛々しい「外交官の家」があります。


ニューヨーク総領事やトルコ特命全権大使などを務めた明治政府の外交官内田定槌氏の邸宅として、明治43(1910)年に東京渋谷の南平台に建てられました。

設計者はアメリカ人で立教学校の教師として来日、その後建築家として活躍したJ.M.ガーディナーです。

平成9(1997)年に内田定槌氏の孫にあたる宮入氏からこの館の寄贈を受け、山手イタリア山庭園に移築復原しご覧の様に一般公開されています。

そして同年、国の重要文化財に指定されたんですね。

室内は家具や調度類が再現され、当時の外交官の暮らしを体験できるようになっています。


各展示室には、建物の特徴やガーディナーの作品、外交官の暮らし等についての資料を展示。

また、付属棟には、喫茶室が設けられています。

ダイニングテーブル
外観といい内装と言いとってもお洒落な造りになっており、見ていてため息が出る程ですね。

テニス発祥記念館と旧山手68番館テニス発祥記念館

教会とフェリス女学院を横目に国道を過ぎ、細い道を通おり抜けますとテニス発祥記念館と旧山手68番館テニス発祥記念館が見えてきます。

 

フェリス女学院

 

 

 


ここに来ますと、西洋館巡りというより、一面テニスコートの中、ボールの音と人のざわめきがこだましています。

ポーン!ポーンという音が心地よく爽やか。

展示館に入るとまずロングスカートのマネキンが目に入りますが、こちらは機能性よりも上品さが尊ばれた山手公園発祥当時の女子のテニススタイル

 

 

 

 

足首まであるロングスカートに、長袖ブラウスやセーター、ネクタイでプレイしていました。

下の写真は明治時代のテニスラケットと、テニスボールネットです。

ラケットは、柄が長いですね
明治時代のテニスラケット明治時代のテニスラケット<
展示されたマネキンも、同様のスタイルに帽子まで被っていますが、実際、スカートの下にはハイヒールも履いていたそうです。

驚きですよね。足くじきそうなんですけど…。

ベーリック・ホール、エリスマン邸

テニス発祥記念館を抜け再び国道に戻りますと、交差点の角にベーリック・ホールがあります!

ベーリック・ホール


ベーリック・ホールは、1930年にJ.H.モーガンの設計により イギリス人貿易商B.R.ベリック氏の邸宅として建築されました。

建築様式はスパニッシュスタル。


外観は玄関の3連アーチや、イスラム様式の流れをくむクワットレフォイルと呼ばれる小窓、瓦屋根をもつ煙突など多彩な装飾をつけていてゴージャスな雰囲気を醸し出しています。


内部に入ると白と黒のタイル張りの床 玄関や階段のアイアンワーク、また子息の部屋の壁はフレスコ技法を用いて復元されているなど見どころ満載です。  
現存する戦前の山手外国人住宅の中では最大規模の建物(確かに🎵)で、建築学的にも価値のある建物です。

エリスマン邸

ベーリックホールから道路を挟んだ向かい側にあるのがエリスマン邸.


スイス人の貿易商フリッツ・エリスマンの邸宅として、1925年から1926年にかけて、山手127番地(現在地より南東に400mほどの位置)に建設されました。

設計はチェコ出身の建築家アントニン・レーモンド。


エリスマンの没後は数度所有者が変更となり、第二次世界大戦の被害を免れたものの1982年にマンション建設のため解体されたんですね。

歴史的価値があると判断した横浜市が部材を買い取り、1990年に元町公園内に移築・復元しました


2001年には横浜市認定歴史的建造物に選定されています。

山手234番館

ベーリックホールとエリスマン邸の道路を挟んだ向かいが『山手234番館。』

1927年頃に建築された外国人向けの共同住宅で、4住戸が入っていたそう設計者は、すぐ隣の山手89-6番館(現えの木てい)と同じ朝香吉蔵。


建設当時の『山手234番館。』は、4つの同じ形式の住戸が、中央部分の玄関ポーチを挟んで対称的に向かい合い、上下に重なる構成をもっていました。

間取りは3LDKで、上げ下げ窓や鎧戸、煙突なども簡素な仕様、震災後の洋風住宅の意匠の典型といえます。

第2次世界大戦後の米軍による接収などを経て、昭和50年代頃まで共同住宅として使用されていたんだそうですが、1989年(平成元年)に横浜市が歴史的景観の保全を目的に取得しました。

一般公開は1999年(平成11年)からしていますが、1階は、再現された居間を中心に、山手地区の洋館のパネル展示、2階は貸し出しスペースとなっています。

パネル展示は期間限定で展示されますが、来館時は食品サンプル等の展示がされていました。


隣の「えの木てい」のチェリーサンドのレプリカもありました。

「えの木てい」

 

山手の有名なカフェ「えの木てい
少し疲れたところで山手の有名なカフェ「えの木てい」に寄ってみました。

 

 

 

 

 

 

入ろうとして「ん……」なんだか普通のお宅の様なドア「ここ開けていいの」


山手で愛されてきた老舗のカフェ。その店内はとってもレトロでアンティークな雰囲気。「あれっ?前に来たっけ……」デジャヴな懐かしさに何より癒されます。

なんでも、以前はここの先代オーナーのお住まいを改造して造ったお店だとか。

関連記事:「えの木てい」でチェリーサンドでティータイム!(横浜・山手発)


あのチェリーサンドもありました! 2階は販売所になっており、外階段から行きます。

発送も行っていました!

岩崎ミュージアムでドレス!


「山手の令嬢気分でちょっとドレスを着てみたい」。そんな女性の夢を叶えてくれる「岩崎ミュージアム」。

ファッションの変遷が見られる華やかな博物館。

もとは日本初の外国人用劇場ゲーテ座があったところなので、ゲーテ座に関する資料も展示されています。(BUT!撮影禁止でした!)

館内に入るとすぐ受付があり、そこでドレスを選べます。お値段は2000円から5000円の間。

今回は2000円のドレス!鹿鳴館で着ていそうなオールドファッション。

まずスタッフさんがカメラで本格撮影。そのあとスマホでバシャバシャ撮ってくれますよ。(因みに男性の衣装はありません😢)

イギリス館・山手111番館ホール、

「岩崎ミュージアム」を出て、外人墓地に向かう途中にあるのが、イギリス館と山手111番館ホール

イギリス館

門が厳めしいイギリス館
イギリス館は1937(昭和12)年に、上海の大英工部総署の設計によって、英国総領事公邸として、現在地に建てられました。

鉄筋コンクリート2階建てで、広い敷地と建物規模をもち、主屋の1階の南側には、西からサンポーチ、客間、食堂が並び、広々としたテラスは芝生の庭につながっています。

2階には寝室や化粧室が配置され、広い窓からは庭や港の眺望が楽しめます。


地下にはワインセラーもあり、東側の付属屋は使用人の住居として使用されていました。

玄関脇にはめ込まれた王冠入りの銘版(ジョージⅥ世の時代)や、正面脇の銅板(British Consular Residence)が、旧英国総領事公邸であった由緒を示しています。

昭和44(1969)年に横浜市が取得し、1階のホールはコンサートに、2階の集会室は会議等に利用されています。また、平成14(2002)年からは、2階の展示室と復元された寝室を一般公開しています。

 

山手111番館


山手西洋館の中で唯一の吹き抜けがある山手111番館は、1926(大正15)年にアメリカ人ラフィン氏の住宅として建設されたイギリス館の南側にあるスパニッシュスタイルの洋館です。

設計者は、ベーリック・ホールと同じく、1920(大正9)年に来日した、J.H.モーガンです。

赤い瓦屋根に白壁の建物は、地階がコンクリート、地上が木造2階建ての寄棟造りです。

創建当時は、地階部分にガレージや使用人部屋、1階に吹き抜けのホール、厨房、食堂と居室、2階は海を見晴らす寝室と回廊、スリーピングポーチを配していました。

 

横浜市は、1996(平成8)年に敷地を取得し、建物の寄贈を受けて保存・改修工事の後、1999(平成11)年から一般公開しています。

館内は昭和初期の洋館を体験できるよう家具などを配置し、設計者モーガンに関する展示等も行っています。


現在、ローズガーデンから入る地階部分は、喫茶室として利用されています

2階は月2回の見学会で公開していますが、通常は老朽化の為行けません。

文明開化は港町から

横浜の山手って単に港町だけではなく、長崎や神戸と共通した雰囲気があります。
ちょっとおしゃれでハイカラな、異国情緒漂う雰囲気

例えて言うなら

  • 長崎のグラバー邸。
  • 外国人居留地から移設した神戸の「北野」の異人館。
  • 同じくここ「山手」の西洋館。

当時「石」や「レンガ」でできた建物は、木と紙で造られた日本家屋でしか知らない人々にとってあっ!と驚く程のインパクト!

ナント言おうか、西洋館に備わっている

  • 部屋としての独立性と奥行きの深さ
  • カーテン
  • ダイニングテーブル
  • 暖炉
  • フカフカのベッド
  • 金ぴかの食器

等々。

もう、絶対憧れてしまったのでは?

正に文明開化は港町からですね!

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まとめ

今回横浜山手を歩いて、その西洋館の外観・内装はもとより、廻ったコース自体が現代でも、いえ様々なものが合理化した現代だからこそ手作りな街並みにロマンを感じます。

横浜山手は憧れの街。

その憧憬。皆様も是非体験してみては?

 


 


 


 

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