間宮祥太朗の学歴(高校・大学)及び芸能界入りのキッカケと経歴は?

間宮祥太朗 芸能人の学歴(偏差値)

ツンデレな役や気弱な役と何でもこなす間宮祥太朗さん。誰もが認めるイケメン俳優ですよね!

今回は”間宮祥太朗の学歴(高校・大学)及び芸能界入りのキッカケと経歴は?“というテーマで間宮祥太朗さんの

①出生と幼少期

②卒業した高校や大学の偏差値

③芸能界デビューのきっかけ

④経歴

等をご紹介致しますね。

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間宮祥太朗の出生と幼少期

間宮祥太朗さんは1993年6月11日神奈川県横浜市で生まれました。

9歳からは横浜の港町で育つ

Twitterによると、間宮さんは9歳から18歳までKAAT 神奈川芸術劇場の近くに住んでいたとあります。
KAAT 神奈川芸術劇場は、住所で言うと「神奈川県横浜市中区山下町」。
中華街と山下公園の間あたり。
めっちゃ良いところですね!

このあたりが地元としたらかなりなシティボーイ(…はい死語ですね。)裕福なご家庭とお見受けいたします。

 

 

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幼少期から年に2度の海外旅行

また、間宮さん、祖父と年に2回位、海外旅行旅行に出かけていたそうです。

で、それだけでもリッチだな~と思うのですが、驚くのは1回の旅行の期間が1ヶ月位との事。

幼少期から孫に日本に留まらず世界を見せてきたお爺様、素敵すぎますね。

将来の夢は映画関係の仕事をする事。

父親が日曜日のお休みの日、夕食後に必ず借りてきた映画を観ていた事で、小学生の頃から映画が大好きだった間宮さん。

その後、通学していた塾の1階がTSUTAYAだった事で、ますます映画にのめり込んで行ったそうです。

因みに好きな映画は、鈴木清順監督の『ツィゴイネルワイゼン』、それにレオス・カラックス監督の「ホーリー・モーターズ」だそうです。

そんな映画を観るのが日常になっていった間宮さん、将来は映画の制作等、映画に携わる仕事をしたいと考えるようになって行きます。

小学1年生からピッチャーで阪神ファン!

幼い頃から    金本知憲 のファン(  今でも家にフィギュアを置いている)で、同時にタイガースファンの間宮さん、小学校1年生から中学校3年生までピッチャーで鳴らしていました。

2019年7月23日に甲子園球場で開催された阪神タイガース対横浜DeNAベイスターズ戦のファーストピッチセレモニーに登板すると、139km/hを記録、なんとこの球速はプロ野球始球式での芸能人としては最速でした。

流石ですね!

間宮祥太朗の芸能界入りのきっかけは?

間宮祥太朗さんの芸能界デビューのきっかけとなったのは、中学1年生の時、先輩から紹介された読者モデルを引き受けたからでした。

何で先輩が?というと…実はその先輩が雑誌のモデルをしていて、そこの関係者から「若い子で来られる子がいたら連れてきてよ」と依頼されていたからなんですね。

その読者モデルの雑誌は「Hana-*chu→」( 主婦の友社  )という主に中学生等、ローティーンに向けたファッション雑誌。

間宮さんの人気は当時の女子中学生の間で、「スマイル王子」として高まり、(実際そのキャッチコピーでオリジナルの特集が組まれました)あるプロデューサーが雑誌に掲載された間宮さんを見つけ、あれよあれよという間に話がまとまり、2008 年 日本テレビ「スクラップ・ティーチャー~教師再生」日置祥太朗役で俳優デビューとなるんですね。

因みに読者モデルで活躍していた頃は本名(馬渡(まわたり)祥太朗)を名乗っていたのですが、このデビューを機に現在の芸名間宮祥太郎を名乗り始めます。

間宮祥太郎って芸名だったんですね!

間宮さん15歳、中学3年生の時でした。

間宮祥太朗の高校及び大学と偏差値

間宮祥太朗さんの高校は、神奈川総合高校です。偏差値は66

偏差値66とは例えば100人中上位5.4%の成績の猛者が集う高校!おおざっぱな目安では、200人中11位又は、40人のクラスで2位ぐらいだった生徒が集う高校です。

 

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当ブログは、 1・偏差値65から69までの高校に行かれた有名人ををランクイン形式で紹介。 2・進学した大学を掲載。 3・直接芸能界等に入られた方は、その経緯を解説。 等あまねく解説致しました。

 

開校は1995年。

神奈川県で最初の総合選択制を導入した高校として、学年に関係なく取りたい授業を取るユニークな学校。

卒業生には「ゴシップ・ガール」の、セリーナ・ヴァンダーウッドセンの声やアニメ「機動戦士ガンダムUC」マリーダ・クルス役を担当する声優の甲斐田裕子さんや、元TBSアナウンサーで、現在フリーのマスパンこと、枡田絵理奈アナウンサーがいます。

頭いいですね!

しかも中学3年生の時、芸能界入りした間宮さん。

芸能活動と受験勉強でかなりハードだったはずなのに、見事合格しています。
※  因みに、高校入学後も秀才ぶりを発揮していた間宮さん。
本格的に芸能活動に専念する為、大学には行っていません

間宮祥太朗の経歴

間宮さんの高校生活もまた学業と芸能活動の二股で苦しい時期どったと推察いたしますが、この頃の出演作品は以下のとおり

・2009年『ふたつのスピカ』
・2009年『オトコマエ!2 最終話』
・2010年『ヤンキー君とメガネちゃん』柳川徹 役
・2010年『明日の光をつかめ 最終話』照井雅弘 役

2011年には2つの作品に出演しますが、この作品が間宮祥太朗さんの転換期。「あのイケメンって誰?」周囲の注目度合いが高まった作品は?

『3年B組金八先生ファイナル』
『花ざかりの君たちへ~イケメン☆パラダイス~2011』

そして間宮祥太朗の真骨頂!初主演のドラマは?

2016年 讀賣テレビ『ニーチェ先生』

そして間宮祥太朗の真骨頂!初主演の映画は?

2017年には『お前はまだグンマを知らない』に映画初主演

また、2018年のNHK連続テレビ小説『半分、青い。』で朝ドラ初出演となる等以前にも増して知名度が上がって行きます。

そして、2019年の、主演映画『殺さない彼と死なない彼女』では「第29回日本映画批評家大賞」で自身初主演男優賞を受賞。

因みに監督の小林啓一氏はこの映画で、新人監督賞をとっています。

2022年、フジテレビ『ナンバMG5』でプライム帯連続ドラマ初主演を果たし、更生しようと奮闘する筋金入りのヤンキー役を熱演していました。

おわりに

ここまで”間宮祥太朗の学歴(高校・大学)及び芸能界入りのキッカケと経歴は?“というテーマで間宮さんをご紹介させていただきました。

幼少期より、横浜の港町に暮らし沢山の映画を観て、また祖父と定期的に海外旅行に行く等、良いものを沢山吸収して育った間宮さん。

そんな経験が、俳優としてもプラスになっているのかも知れませんね。

この先も更なる活躍を期待しています。

最後までお読みいただきありがとうございました。

本名:馬渡祥太朗(まわたり しょうたろう)

生年月日(星座):1993年6月11日(ふたご座)
血液型:O型
出身地:神奈川県横浜市
所属:トライストーン・エンタテイメント
職業ジャンル:俳優
活動期間:2008年~

 

 

 

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