【金沢城の歴史】初代城主は室町時代!そこから明治維新までの城主達

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加賀百万石で名高い城『金沢城』。

そもそも何時頃造られその歴代城主達はどんな人なのでしょう?

今回は“【金沢城の歴史】初代城主は室町時代!そこから明治維新までの城主達“と題して、金沢城の歴史と歴代城主達を解説していきますね!

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金沢城歴代城主 原点は城主の居ない金沢御堂

金沢城の前身としての「金沢御堂」は、足利義輝が室町幕府13代将軍となった1546年、※百姓の持ちたる国と呼ばれる僧・武士・農民や商人らが、話し合いをして治める共和国家の拠点として創建されたものです。

※百姓の持ちたる国:加賀国守護大名の富樫政親が統率や弾圧に苦しんだ一向宗門徒と国人達が反乱を起こした1488年の加賀一向一揆で自害に追いやられ、1580年に織田信長に敗れるまでの90年間、日本で唯一、戦国大名の居ない国として続いたもの。

柵を巡らせ堀で囲んだ外観は寺院というよりは城に近いものであり、この時点で後の金沢城の片りんが伺えました。

そして金沢御堂を囲む形で 後町、南町などの寺内町がつくられ 、金沢の街の基礎部分が形成されていきました。

まさに加賀一向宗の中心地として、大阪における石山本願寺とも連携していくんですね。

金沢城の歴代城主 初代城主は信長の家臣の佐久間盛政

佐久間玄蕃盛政の肖像画
金沢城の初代城主は信長の家臣の佐久間盛政ですが、ここでは、そこに至るまでの信長の動きを覗いてみましょう。

      1. 朝倉義景を滅ぼし北陸地方に侵攻
        天正元年(1573)「天下統一」を目指す織田信長。
        信長が傀儡として利用していた足利義昭の工作により、一度は四面楚歌に陥ったものの、上洛途中の武田信玄の「死」によって状況が激変。越前の朝倉義景を滅ぼし北陸地方に侵攻していきます。
      2. 伊勢長島の一向一揆勢力を根絶
        織田軍にとって最大の敵は「南無阿弥陀仏」と唱えれば「死」をも恐れず 「進むは極楽浄土、退くは無間地獄」と進軍を阻止してくる一向宗門徒でしたが、同時期、蓮如率いる石山本願寺(大阪城の前身)や伊勢長島とも敵対していた信長はこの間、一向一揆勢力を根絶やしにしようと画策。
        天正2年1574年6月から9月にかけての第三次長島侵攻 では伊勢長島の一向一揆勢力を根絶します。
      3. 浄土真宗本願寺勢力を大阪から排除天正8年(1580年)8月2日には本願寺教如きょうにょを石山御坊から退出させて石山本願寺を奪取。
        浄土真宗本願寺勢力を大阪から排除し10年に及ぶ戦いに幕を引きます

同年、ここ金沢御堂も信長の家臣の柴田勝家と甥の佐久間盛政により討ち込まれ、およそ100年続いた加賀一向宗門徒による共和国もここに崩壊。

領主となった盛政によって金沢御堂は「金沢城」と改名しました!

もともと堀や柵で武装していた金沢御堂は殆ど手をかけず、すぐさま城としての機能を発揮して行きます。

金沢城の歴代城主 2代城主は信長の家臣の前田利家

金沢城の2代城主も信長の家臣の前田利家ですが、ここでは、そこに至るまでのいきさつを覗いてみましょう。

  1. 本能寺の変での信長の死
    大阪の石山本願寺を奪取後、ここに新しい城を作りたかった信長ですが、実現を果たせずに(のちに豊臣秀吉が跡地に大阪城を作った事で実現)明智光秀の謀反にて自刀(本能寺の変)。
  2. 賎ケ岳の戦いによる佐久間盛政の死
    信長の跡目争いについて合議した清須会議で対立した豊臣秀吉と柴田勝家ですが、天正11年(1583年)4月、ついに賎ケ岳の戦いで対決。柴田勝家側についた金沢城主の佐久間盛政でありましたが、敗戦により捉えられて斬首。佐久間玄蕃盛政の肖像画実は、秀吉にその才を惜しまれ配下に就く事を進められましたが、柴田勝家に対する義を通し、敗残兵として敢えて処刑される事を希望したといいます。

    悲しいけど男らしいですよね…。

    流石「鬼の玄蕃」と言われた漢(おとこ)です。

天正11年(1583年)秀吉は賎ケ岳の戦いで功績のあった前田利家に北加賀の領地を与え、能登国七尾の城から金沢城に入城させます。

実は前田利家、賎ケ岳の戦いにおいて豊臣秀吉と柴田勝家のどちらに就こうかかなり迷っていたんですね。

金沢城の歴代城主 2代城主前田利家が秀吉についた訳

話は遡りますが、若かりし頃の利家は豪快で短気!

世に言う「歌舞伎もの」だったようですが、ある出来事で主君信長の逆鱗に触れ、信長軍団から追い出されてしまいます。

その出来事とは、主君のお気に入りの同朋衆「拾阿弥」じゅうあみ を斬り殺してしまった事!

原因は利家の大事にしていた髪結い道具を盗んだ事なんですが、

 

これは「ちょっと…いけないです…」

当然信長は激怒!手打ちにされそうになりますが、これをかばってくれたのが柴田勝家

結果、織田家を追い出されますが、それでも命だけは勝家の嘆願により回避。

言わば、柴田勝家は命の恩人なんですね。優しい先輩だったんです。
ところで、勝家の嘆願により命は繋ぎ止めたものの、出仕停止処分つまり、『レッドカード!』『城には来るな!』というペナルティをくらった利家。

返り咲くには実力を示すしかないので次のような活躍事をします。

  1. 「桶狭間の戦い」に密かに参陣し一番首を挙げる
  2. 斉藤義龍との「森部の戦い」では猛将「首取り足立」こと足立六兵衛を倒す
 行動的ですよね!
流石に信長もその戦功を認め、帰参を許します。

それに対して秀吉とはまだ彼が木下藤吉郎とよばれていた頃よりのお隣さん。

織田軍団生え抜きの利家ですが、気さくで人たらしの秀吉とは年も近く互いに何でも言える仲

いいですね!若い頃からの友達は持ってるだけで財産です。

また、利家の妻のまつと秀吉の妻のおねとは味噌や醤油がなければ借りに行く…。

そんな関係だったんですね。

友を取るか義を取るかさんざん迷ったあげく勝家軍に加わったのですが、戦の最中、どうしても秀吉と戦うことができずに撤退。

何より友達を取ったんですね


いい選択です…私でもそうします。

しかし勝家としては「そりゃ~無いよ~」となる訳ですが、前線で戦っていた利家軍がいきなり撤退したものですから後方部隊も「すゎ!負け戦か!」と連鎖して撤退。

戦意も消失。負け戦となってしまったんですね。

金沢城の歴代城主 3代城主は前田利家の息子前田利長

金沢城の3代目の城主は前田利家の嫡男の前田利長。

父親譲りの武闘派で、豊臣秀吉による九州征伐や小田原征伐にも参戦。

戦いにおいて華々しい活躍をし、信長が存命の頃は「流石又左の子よ」と称賛される程武勇に長けており、その正室として信長の四女・永姫えいひめとの縁組を結びました。

よく加賀百万石と言われますが、加賀の領地を百万石にしたのはこの利長。

ここで加賀藩の領地の経緯を解説しますと、

  • 利家が金沢城に入る3年前の天正9年(1581年)の領地→25万石
    信長から与えられた能登一国(21万石)に尾張、越前を合わせたもの
  • 金沢城主となった頃の天正11年(1583年)の領地→38万石
    佐久間盛政の旧領のうち加賀二郡(13万石)を加増された。
  • 天正13年(1585年)→70万石
    佐々成政と戦った功績(富山の役)によって嫡子利長に越中のうち射水・砺波・婦負三郡(加賀・能登・越中)32万石を加増された。

最終的には、利長の代、関ヶ原の戦いで東軍について参戦の36万石の加増で119万石になり以来、加賀百万石と言われる様になります。

金沢城の歴代城主 3代目の利常以降から幕府を警戒した城主達

金沢城の歴代城主は、3代目城主前田利常(まえだ としつね)から第13代(最後)の藩主前田 慶寧(まえだ よしやす)まで、日本一の石高を維持。

文久3年(1863年)の幕府大目付調べによると2位の薩摩藩を48万石離して堂々の1位。(徳川将軍家の400万石を除く)

それだけに幕府に警戒されない様に常に気を配り、3代目の利常(利家の側室の子)等は、幕府に警戒されない様に伸びた鼻毛をそのままにして愚か者を装ったという逸話があります。

しかしこの利常決して凡庸ではなく、支配機構の整備をして藩体制を確立させる等、むしろ利長よりも利発だったとされ、利常の孫綱紀は、学者を招き学問を振興し加賀藩における文化を高めた名君と称されます。

その綱紀の代に※兼六園も造営されました。
※兼六園  日本三名園のひとつとして、国の特別名勝に指定されています。

また、加賀藩は明治維新を迎える時まで、徳川政権下では最大の大名としての地位を守り通していきますが、徳川将軍家とも姻戚関係が深く、2代将軍徳川秀忠の娘・たま姫が3代当主利常に嫁ぐ等、多くの正室を徳川将軍家から迎えました。

その為、家柄も高く「御三家」の次に配せられ、御三家等同様に大廊下詰での将軍拝謁が許され、松平姓と葵紋の使用も許されています。

江戸の藩の石高ランキング
(文久3年幕府大目付調べ)、

順位 国名 藩名 石高 初代藩主 初代藩主の父 文久3年の藩主 藩格
加賀 金沢 120万石 前田従三位中納言利長 前田利家 前田正二位権中納言斉泰 外様
薩摩 鹿児島 72万8000石 島津従三位中納言家久 島津義弘 島津修理大夫忠義 外様
陸奥 仙台 62万石 伊達権中納言政宗 伊達輝宗 伊達左中将慶邦 外様
尾張 名古屋 61万9500石 徳川従二位権大納言義直 徳川家康 徳川義宣 三家
紀伊 和歌山 55万5000石 徳川従二位権大納言頼宣 徳川家康 徳川茂承 三家
肥後 熊本 54万石 細川従三位参議忠興 細川藤孝 細川正四位下左中将 外様
筑前 福岡 47万3000石 黒田従四位下筑前守長政 黒田孝高 黒田従二位左中将長溥 外様
安芸 広島 42万6000石 浅野従四位下紀伊守幸長 浅野長政 浅野従四位下左少将長訓 外様
長門 36万石 毛利従三位権中納言輝元 毛利隆元 毛利従二位権大納言敬親 外様
10 肥前 佐賀 35万7000石 鍋島従四位下侍従勝茂 鍋島直茂 鍋島従一位肥前守直大 外様
11 常陸 水戸 35万石 徳川正三位権中納言頼房 徳川家康 徳川従三位権中納言慶篤 三家

 

http://kitabatake.world.coocan.jp/rekishi3.htmlより一部抜擢

金沢城には天守閣がありません。

落雷のため焼失してしまったのですが、その後、天守閣が再建されることはなく、末代まで、金沢城は天守閣がない城だったのです。

焼失した天守を以後再建しなかったのは、やはり幕府に警戒されない様に常に気を配っていた事の現れなんですね。

しかし見かけは悪くとも中身は機能的、外観は三層櫓だが中に入ってみれば5階にしてあり、櫓を天守閣に置き換えていざという時に備えました。

金沢城

金沢城は14代藩主の慶寧よしやすまで約300年間、前田家の居城として外様大名でありながら、減封や改易されるといったことも無く加賀百万石の体裁を保ってきましたが、幕府に警戒されない様に常に気を配っていたといった心構えが功を奏したと言っても過言ではないかと思います。

そうした徳川家の繋がりから大政奉還の際、藩意としては徳川慶喜を支持。

しかし幕府軍が鳥羽・伏見の戦いに敗北した後は新政府の北陸鎮撫軍に帰属し、維新後は加賀藩から海軍にとの流れが加速していったようです。

おわりに

ここまで”【金沢城の歴史】初代城主は室町時代!そこから明治維新までの城主達”について解説して来ました。

加賀百万石・前田利家というイメージが強い金沢城ですが、前身は金沢御堂という一向宗徒の寺院でした。

金沢城の石垣を眺めるにつけ、およそ440年間の歴史の重みをただ……ただ感じてしまうところですが、大火に何度も合いながらも、その都度乗り越えてきた金沢城は、きっとこの先もずっと輝き続けていく事でしょう。

最後まで読んで下さりありがとうございました。

 

 

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