1980年代にCMに火がつき芸能界デビューした宮崎美子さん。
以降、ドラマや映画、クイズ番組、最近ではお母さん役での出演が目立っている様ですが、明るい笑顔はデビュー当時から変わらず健在。
今回は、”宮崎美子の学歴(高校・大学)と偏差値及び経歴”をご紹介致しますね。
宮崎美子の出生と幼少期
1958年12月11日、熊本県熊本市で生まれた宮崎さん、銀行員の父親と、専業主婦の母親の元で、幼稚園までは熊本市に住んでいました。
そして、父親の転勤で熊本市から大阪府豊中市→大阪市そして再び九州に戻りましたが今度は熊本市ではなく大分市へ移住。
小学校も豊中市立南桜塚小学校から大分市立春日町小学校へ転校する等小学校で転校を1回しましたが、以降は大分市に定住しています。
現在も頭の良い宮崎さんですが、この頃から担任の教師が知らない特殊な漢字を知っていたりするなど知識量は多かったようです。また、この頃から、ミュージカルやアナウンスなどに興味を持っていた様です。
小学生の頃から頭脳明晰だった宮崎さんですが、大分大学教育学部附属中学校卒業後、難関高校から大学へと進学します!
宮崎美子の高校と偏差値
宮崎さんの高校は大分県で最も偏差値の高い
大分県立大分上野丘高等学校(偏差値71)
でしたが、2学年に進級する際、熊本市内に戻り
熊本県立熊本高等学校(偏差値75)
に編入学しています。
因みに、熊本県立熊本高等学校の偏差値75は熊本県で最も高い偏差値です。
宮崎美子の大学と偏差値
宮崎さんの大学は、熊本大学法学部法律学科(偏差値52.5)です。
✨大学入学後の宮崎さんは熊本の百貨店の水着モデルをしたり、写真部の友達作った彼女のブロマイドで目立ったりと、大学ではちょっとした有名人でした。
そして後述する芸能活動の為、大学を卒業したのは1982年3月。
仕事と勉学の股にかけ、入学から5年かけてしっかりと卒業しています。
宮崎美子の芸能界デビューのきっかけはあのCM
3年生の頃は「篠山紀信が撮る!週刊朝日“キャンパスの春”」の表紙モデルに応募。
すると応募者約1000人のうちの50名の写真選考を経て、最終合格者の10名に選ばれ1980年1月、「週刊朝日」1980年1月25日号の表紙を飾ります。
なんでも他の応募者が応募写真を、飾り立ててスタジオで撮っていたのに対し、当時宮崎さんと交際していた医学部の学生が撮った「素っ気も化粧けも無い写真」が、逆に素朴で良かったとか。
その後、篠山紀信からミノルタ(現:コニカミノルタ)のCMへの出演依頼があり、ちょうど春休みだし、撮影地のサイパンに行けるという軽いノリで受けたところこのCMが大ヒット。
今の君はピカピカに光って~♬から始まる斎藤哲夫の曲と共に木陰でTシャツとGパンを恥ずかし気に脱いで水着姿になる宮崎さんにお父さん達も大うけだった様です。
宮崎美子のデビューから現在に至るまでの経歴
その後の宮崎さん。
前述のとおり小学生の頃からジャーナリストに憧れていましたが、1980年4月、地元熊本放送の番組レポーターになります。
そして同年10月からはTBSのポーラテレビ小説『元気です!』で翌年の3月まで主演を務め、女優デビューを果たすと、1981年10月からは、当時大橋巨泉の司会で人気だったクイズ番組『クイズダービー』で、女優の長山藍子の後を受け継いで6代目の2枠レギュラー解答者として約2年間出演。
さらに知名度を高め、その後はTVドラマに映画に、舞台に、そしてバラエティー番組
とマルチな活動。
着実に実績を積み上げ現在に至ります。
おわりに
ここまで”宮崎美子の学歴(高校・大学)と偏差値及び経歴”を紹介して来ました。
デビューから変わらぬ笑顔をお茶の間に提供してきた宮崎さん。
この先も更なる活躍を期待しています。
♦宮崎 美子プロフィール♦
生年月日: 1958年12月11日
出身地 :熊本県熊本市
身長: 156 cm
血液型 :A型
活動期間 :1979年 -
主な作品:
テレビドラマ
『2年B組仙八先生』『ごちそうさん』『八重の桜』『リコカツ』『志村けんとドリフの大爆笑物語』
映画
『雨あがる』『太陽は動かない』