【源義経】性格「いくさなんて勝てばいいんだよ!」義経は美形だが卑怯者の独裁者だった

鎌倉殿の13人

源平時代の悲劇のヒーロー源義経。

大河ドラマ等ではタッキーや菅田将暉等の若くて爽やかイケメンが、そのキャストに抜擢されるのが常ですが、最後は裏切りに合い非業の死を遂げます。

でもその性格はどうだったんでしょうか?

今回は”【源義経】性格「いくさなんて勝てばいいんだよ!」義経は美形だが卑怯者の独裁者だった”について解説していきますね。

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何故義経は卑怯者の独裁者なのか?

義経の戦いと聞いて有名なのは、「一ノ谷の戦い」「屋島の戦い」「壇ノ浦の戦い」ですが、義経はこれらの戦いにおいて当時の戦いの作法・マニュアルを完全に払拭しています。

ではそれぞれの戦いの経緯を見て行きましょうね。

「一ノ谷の戦い」と「屋島の戦い」

『やぁやぁ我こそは○○○』『音にこそ聞け、近くば寄って目にも見よ。我こそは○○である~』※平安時代から鎌倉時代の戦いの作法は先ず名を名乗り合ってから。奇襲はNG!
「一ノ谷の戦い」


鵯越
ひよどりごえ)の逆落としで有名な「一ノ谷の戦い」ですが、実は後白河法皇が平氏へ講和の提案を行い油断させていた事実こそが、平家が敗北する大きな要因になっています。

平家にしてみれば仮にも法皇の仲介であり、話合いで収める事に疑いを挟む余地もなく、ほぼ武装解除に近い状態にあったところを義経等に襲われて(公平な合戦にもならず)大敗を喫したということになるんですね。

これは、騙し討ちもいい所。

太平洋戦争に例えるなら日本軍が宣戦布告前にパールハーバーを攻撃した様なものです。

喝!

「屋島の戦い」

「一ノ谷の戦い」で大ダメージを受けた平家ですが、やがて讃岐国屋島内裏を置いて本拠とし、有力な水軍を抱き込んで瀬戸内海の制海権を握るまでとなりました。

これに対し水軍を持っていない東軍はただ傍観するのみ。

屋島に陣を構えた平家をどう叩くか?

義経は敢えて嵐の日を選びわずか150騎で四国へと向かいます。

暴風雨の海を渡る事に命の危険を感じるのは、至って当たり前のことですので、諸将や、船頭らは強く拒みますが、ここで義経は強気に出ます。

何と出航をためらう船頭を弓矢で脅し、それならば「逆櫓を付けましょう」と提案した戦奉行の梶原景時の提案を「必要なし!」と上から目線で拒む始末。

僅か5艘150騎で嵐の中、出航を強行してしまいます。

加えて、干潮時には騎馬で、屋島へ渡れることを知った義経は、少数の自軍を大軍に見せる為、行き掛かりの民家に火を放ち奇襲攻撃をしかけます。

自己の作戦遂行の為には他人の意見に耳を貸さない独裁者でした!

貴方は金正恩ですか??

喝!

「壇ノ浦の戦い」

平氏水軍を撃滅すべく、義経は西国の水軍840艘⦅渡辺水軍(摂津国)、河野水軍(伊予国)、熊野水軍(紀伊国)⦆を味方につけ壇ノ浦の戦いに望みます。

合戦前の軍議で自分が先陣になるという義経に、軍監の梶原景時は「大将が先陣というのはあり得ない!将の器ではない」と反対しますが、ここでも独裁者ぶりを発揮。

加えて、いざ合戦となると禁じ手を発動。

なんと水主や梶取(漕ぎ手)を射るよう命じます

これは当時の戦の作法に反する行為。

アルカイダの無差別攻撃の様です。

とうぜん 喝!

まとめ

ここまで”【源義経】性格「いくさなんて勝てばいいんだよ!」義経は美形だが卑怯者の独裁者だった”について解説してきました。

最後まで読んで下さりありがとうございました。

 

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